teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


岩戸山古墳は、大円墳だったのでは?

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月21日(木)00時47分53秒
返信・引用
  >古代メソポタミアに由来する。そこでは Furrow(畝)(葉)の2つの星座があり、2人の女性が描かれていた。

furrowの意味や和訳。 【名詞】【可算名詞】1(耕された畑の畝(うね)と畝の間の)すじ, あぜの溝,溝.2a(溝のような)細長いくぼみ.b(船の通った)跡; わだち.3(顔などの)深い しわhttp://ejje.weblio.jp/content/furrow

frondの意味や和訳。 【名詞】【可算名詞】【植物, 植物学】1(シダ・シュロなどの)葉.2( 海草・地衣などの)葉状体 《葉と茎の区別がつかない》. http://ejje.weblio.jp/content/frond
葉と茎の区別がつかない
「葉」の簡体字 は「叶」と定められたようである。 ....
漢字の起源と由来を探るhttp://kanji-roots.blogspot.jp/2012/05/blog-post_27.html
「叶」という字の繁体字は「葉」という字である。つまり以前は「葉」という漢字を使っていたということである。しかし、出来るだけ書く数を減らすという漢字の簡単化の作業を進める中で、「叶」と定めたものである。

葉  參 解字
〔説文解字〕の本字は?で〔説文・巻七〕に「商星なり」とある。段玉裁によると「商の星(=さそり座アンタレス)」とあるのは誤りで、「晋の星(=参星=オリオン座の三つ星)」が正しい。
字形
かんざしのような飾りを頭につけて座る人の象形+彡の会意。彡はかんざしの輝きを表すとされ、彡がつかない字形もある。かんざしをばらばらと頭に飾っているので、ばらばらの意味があるとする説(白川静)、光がちりぢりに輝く意とする説などがある。
〔説文〕は星を表す晶に従い?声の形声としているが、甲骨文・金文の形は異なる。

枼 ヨウ・は  木部http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/4a3d04f12c8b8f862e27bd5f6d19684f
解字 甲骨文は、三枚の葉が枝の先にある木の象形。木の葉を意味し葉の原字。金文以降は、葉の薄さを強調する形になっている。現代字は「世+木」に変化。単独では使われず、「うすい葉」「うすっぺらい」イメージで音符となる。
意味 木の葉。薄い木片。
イメージ  「うすい葉」(葉・蝶・笹)
       葉のように、「うすっぺらい」(鰈・牒・諜・喋)
       「同音代替」 (渫)
音の変化  ヨウ:葉  チョウ:蝶・鰈・牒・諜・喋  セツ:渫  ささ:笹

茎 ケイ・くき  艸部
解字 旧字は莖で 「艸(くさ)+巠(まっすぐのびる)」 の会意形声。草のまっすぐのびる部分。
意味 くき(茎)。植物のくき。くきのような形をしたもの。「地下茎チカケイ」「根茎コンケイ」(地下をはう根状のくき)「茎若布くきわかめ」
「巠ケイ」 <まっすぐのびる> と 「経ケイ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/c2f36e5aaf4fd596ea51e4957d72eee5

>「叶」という字の繁体字は「葉」という字
△・・・定規  ○・・・コンパス

「十ジュウ」 <とお>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/817bb281d7eb051be23bcf1228dbf5ed
解字 数字の十をあらわす指示文字。甲骨文はタテの一線で表わし、金文はタテ線に肥点を加えた形。篆文から十字形になった。漢字は十進法を採用しており、甲骨文では一から四まで横線をかさねた形で表している。十は、桁がかわる数字であり、一をタテにして十および十の位を表した。十は部首となるが、また音符ともなる。
意味 (1)とお(十)。数の名。「十指ジッシ」「十階ジッカイ」 (2)満ち足りているさま。「十分ジュウブン」「十全ジュウゼン」 (3)数の多いこと。「十把一絡(じっぱひとから)げ」
参考 部首としての十。十は、数の十や、多い・集まる意で部首となる。しかし、この意の字はすくなく、漢字の一部に十が含まれるものを便宜的に十部に入れているものが多い。常用漢字で11字、約14,600字を収録する『新漢語林』では156字が十部に収録されている。十部の主な字は以下の通り。
十の意味が含まれる字
廿ジュウ(十+音符「十ジュウ」)・卅[丗]ソウ(十+十+十)・協キョウ(十+音符「劦キョウ」)・博ハク(十+音符「?フ」)
便宜的に十部に入っている字。(ほとんど音符)
干カン・午ゴ・卒ソツ・卓タク・升ショウ・半ハン・卑ヒ・南ナン・千セン・卉キ、は最後の卉キを除きすべて音符となる字。ここから分かるように音符になる字は、分解することがむずかしく独立性の高い字である。すなわち、部首となじまない独立性をもち、主に発音をつかさどっている字が音符と言える。
イメージ  「とお」 (十・什・廿・卅・計・汁)
       「十字形」 (辻)
       「同音代替」 (叶・針)
音の変化  ジュウ:十・什・廿・汁  シン:針  キョウ:叶  ケイ:計
        ソウ:卅  つじ:辻
叶 キョウ・かなう  口部
解字 「口(くち)+十(キョウ)」の形声。キョウは協キョウ(あわせる)に通じ、口をあわせて相談し、うまくまとめること。日本では、思い通りになる意もある。
意味 (1)かなう(叶う)。=協。調和する。うまく合う。「条件に叶う」(2)[国]かなう(叶う)。①思いどおりになる。「願いが叶う」②匹敵する。「彼には叶わない」

合・・・△ ○・・・前方後円墳?

劦キョウ力部解字力を三つ組み合わせた形。力は土を掘り起こすスキの象形。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/b3dcaed8679fb50f7b0d90c496445861

「口」円い意味も
「口」(くにがまえ)部首解説:これを部首にして、 囲む、巡らすなどの意味を持つ文字ができている。また、○の変形として、円い意味を 表わすことも有る。 http://shoukei.blog65.fc2.com/blog-entry-38.html

ムは大地を耕すスキ、口は神 に祈る 言葉を入れる器。http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/2425/?reverse=0&TEACUPRBBS=02b5381024cd398b2fe29893ab7b715a
厶(こう)はひじをひろく張り出したさま。肱(こう)の原字。弘は「弓+(音符)厶」で、弓をじゅうぶんに張ることを示す。

方・・・勿・・・物部氏? ... 耒 鋤 耜 犂 鍬 臿【唐鋤星】からすきぼ し 〔補説〕 唐鋤に見立てていう 二十八宿の参( しん)宿の和 …http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2911
ム」=鋤
台 ダイ・タイ・イ 口部 解字 「ムシ(スキ)+口サイ」の会意。ムは大地を耕すスキ、口は神 に祈る言葉を入れる器。 ... スキで大地を掘り起こす事から 「やわらかい」 (怠・怡・駘・冶 ・苔・飴) 音の変化 ダイ:台 タイ:胎・殆・怠・駘・苔・颱 イ:怡・http://atsites.jp/yoshitoharada/795_suki.htmlhttp://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
台を音符に含む字は、スキで生産を始める意から、「行動をはじめる・きざす」また、スキで大地を掘り起こして柔らかくする意から「やわらかい」イメージを持つ
解字 篆文は、「高の変形の上部(高い)+至(いたる)」 の会意。

からすきぼし【唐鋤星】とは。意味や解説。二十八宿の一、参宿(しんしゅく)の和名。星の 配置を唐鋤に見立てた名。→参(しん)http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/45774/m0u/
星の 配置を唐鋤に見立てた
参宿(しんしゅく)、和名は唐鋤星(からすきぼし)、二十八宿の一つで西方白虎七宿の第7宿。距星はオリオン座ζ星(三つ星の東端の星)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E5%AE%BF
参宿の距星は、本来はオリオン座δ星であったが、歳差や恒星の固有運動のために明代頃には觜宿の距星を西に越えてずれ込んでいた。つまり、觜宿と参宿の順序が逆になってしまっていた。このため参宿の距星を別の星に置くなどの措置が取られるようになった。


marumarumaruitiitiiti.gif. 一部5画( 6). 音:サン 意味:商星。アンタレス。「参」の古字。http://www.geocities.jp/f9305710/henkanji3.html
サン 意味:商星。アンタレス。「参」の古字。
上の字を含んでいる。しかも下は三ではない。

「久キュウ」 <ひさしい>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/9a4453c5efc4810caed273268d44419b
解字 篆文第一字は、「尸(しかばね)+タテ棒」の会意。尸(しかばね)は、人が椅子などに坐る姿の象形で、祭祀のとき死者である祖先に代わって近親者が神座に坐る形。祭主であるとともに死者の意も表す。久は、坐る椅子を表すタテの棒が付き、意味は尸(しかばね)と同じく死者を表す。篆文第二字は、「長(長髪の老人)+久(死者)」で、老人の死者を示している。しかし、久は死者の意味でなく、人の命はわずかの間だが、死後の世界は永遠であるという古代の人々の考え方から「ひさしい」意となる。死者の意は、柩キュウの字で表れる。
意味 ひさしい(久しい)。長い間。「久遠クオン」「永久エイキュウ」「耐久タイキュウ」
イメージ  「ひさしい」 (久・灸・疚)
       「人の死体」 (柩)
       「キュウ・クの音」 (玖・粂)
       「その他」 (畝)
畝 ホ・せ・うね  田部
解字 篆文の俗字は畞で、「田(田畑)+十(タテとヨコの意)+久(=あし[夂]の変わった形)」 の会意。十はタテとヨコを表し、久は夂(あし)の変形とみて、農夫が田畑をタテとヨコに歩いて測った田の面積の意[角川新字源]。現代字は俗字の十 ⇒ 亠に変化した畝となった。
意味 (1)土地の面積の単位。周代では6尺平方を歩とし、百歩を畝とした。約1.82アール。 (2)[国]せ(畝)。面積の単位。1反(300坪)の十分の一。30坪(約1アール)。 (3)うね(畝)。畑で一定の間隔をおいて土を細長く盛り上げた所。
十(タテとヨコの意)
現代字は俗字の十 ⇒ 亠に変化した畝となった。

Furrow(畝)
畝(せ、ほ)は、尺貫法における土地の面積の単位である。日本のものは「せ」、中国のものは「ほ」と読み、同じ字を使うがその値や成り立ちが異なり、全く別のものである。日本の畝(せ)と区別するため、中国の畝を「ムー」と現代中国語音で呼ぶことがある。
どちらも畑の畝(うね)に由来するものと考えられる。
畝 (単位)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%9D_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)
日本の畝(せ)は単純に歩(坪)の倍量単位となっており、30歩のことを指す。10畝を1反(段)とする。

卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩」 「徑」は直径の事なので、直径百餘歩 という事になります。
卑弥呼の墓の径100余歩とは半径でしょうか?直径でしょうか?https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12142358227?__ysp=5Y2R5byl5ZG8ICDlopMg5q2p

「巠ケイ」 <まっすぐのびる> と 「経ケイ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/c2f36e5aaf4fd596ea51e4957d72eee5
解字 織機にピンと張ったたて糸の象形。まっすぐ、たてにまっすぐの意を表わす。単独で用いられることはなく、まっすぐの意で音符となる。新字体では、巠→圣に変化する。
イメージ  機織りのたて糸から 「たてにまっすぐ」 (経・頸・脛・勁)
       「まっすぐのびる」 (径・径・茎・痙・軽)、 「同体異字」 (怪)
音の変化  ケイ:経・頸・脛・勁・径・径・茎・痙・軽  カイ:怪

たてにまっすぐ・・・南北・・・太神宮の主軸は南北

秦の始皇帝が221B . C .(26 )に1歩を6 尺, 1 里を300歩として以来,各王朝はこれを継承してきた。http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170920231801.pdf?id=ART0002609184
里(m ) 406 ~(415 )~424399 ~(408)~417
歩(c 面135 ~(ユ38 )~141133 ~(136)~139

卑弥呼の墓の径100余歩とは
歩(c 面135  × 100=135m

墳丘長:約135メートル
岩戸山古墳(いわとやまこふん)は、福岡県八女市にある前方後円墳。八女古墳群を構成する古墳の1つ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%88%B8%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
筑後国風土記』逸文(『釈日本紀』所収)には岩戸山古墳の状況や位置が記されており、別区では裁判を思わせる記述もある[4]。同文によると、磐井は生前から墓を作っていたが、戦に敗れ放棄したという。

邪馬台国(ヤマタイ国)魏志倭人伝に登場する謎の女王ヒミコの国。古くは、邪馬壹国、 倭面土国、とも書く。(ヤマイツ?、ヤメンド?)発音は判らないが福岡県八女市の「八女」や 「八女津姫」に通じる転訛のようだ
八女津媛神社  福岡県【邪馬台国】卑弥呼の聖地http://blog.goo.ne.jp/nimojero/e/bbb710a7953b9a1f190e197ab11ebf48
日本の古代発音は40音であり、5段活用はなく4段活用で、マとメの区別もない未分化な発音だったらしい。
     マ = メ、 ヤマ = ヤメ になる。

「日本書紀」によると、景行天皇が八女の県(やめのあがた)に巡行されたとき、「東の山々は幾重にも重なってまことに美しい、あの山に誰か住んでいるか」と尋ねられました。
そのとき、水沼の県主猿大海(さるのおおあま)が、「山中に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にいる」と答えたことから八女の地名が起ったと記されています。
八女津媛神社はこの八女津媛を祭った神社で、創建は養老三年三月(719)と伝えられています。
八女の地名の起こりにもなった八女津媛は、弥生時代から古墳時代まで各地の豪族が治めていたクニの、女首長であり祭祀を行なっていた巫女の一人だったと思われます。
この時代は、魏志倭人伝に記されている邪馬台国の女王卑弥呼の様に、巫女の力を持った各地の女首長が、鬼道や呪術といった宗教的な行いによってクニを治めていたのです。
「鬼道」の「鬼」とは、古代では「神」と同じ意味を持っていましたので、「鬼道」とは「神道」と同じことになります。
「肥前風土記」には、17人中6人は女酋(女首長)であったと記されていますし、「豊後風土記」には、速見郡に速津媛、日田郡に久津媛、五馬に五馬媛(いつまひめ)といった女酋の活躍が記されています。
この中の速津媛は、天智天皇の御代に瀬織津姫と共に祓戸神として習合される、速吸瀬戸の海の女神、速秋津姫である可能性が高い思われます。
「日本書紀」には、この八女津媛の他に、九州の女酋では八女市に隣接するみやま市山門(やまと)にいた田油津媛(たぶらつひめ)を、神功皇后が討ったと書かれています。
この山門の田油津媛こそ、邪馬台国の卑弥呼とする説が江戸時代からあります。
そして、田油津媛のいた山門は有明海に注ぐ矢部川沿いにありますが、この矢部川の源流部こそ矢部であり、八女津媛神社の所在地なのです。
また、矢部川の流域には、瀬織津姫を祭る神社が4社確認されていることからも、とても興味深い地域です。

太神宮の主軸は南北だが、やはり西に振っている。
岩戸山古墳に食い込む太神宮の怪http://lunabura.exblog.jp/26031762/
岩戸山古墳の「太神宮」は前方後円墳のくびれ部に食い込んでいる。
明らかに墳丘の築造後に意図をもって建立されたものだった。

、「太神宮」は「大日孁貴尊」のみを祀るものとなる。
「おおひるめのむち」
アマテラスの別名とされるが、これも容易に習合させてよいものか、 段々と慎重にならざるを得ない。
この「太神宮」の問題は墳丘に食い込んでいるだけではない。
かつては後円部の頂上にも鎮座していたのだ。

磐井の乱後に築造され たという装飾を持つ弘化谷古墳は、大円墳で石屋形があります。
岩戸山古墳と八女丘陵 http://tizudesiru.exblog.jp/23895351/
江戸時代までは、石人山古墳が筑紫君磐井の墓だとされていました。岩戸山が磐井の墓とされるようになったのは、この百年余のことなのです。岩戸山にはたくさんのラインが引かれます。既に紹介してると思いますが。直線の先にあるのは、有名古墳の墳丘や地域の信仰の対象になった山の山頂です。宝満山・脊振山・高祖山・九千部・阿蘇山・普賢岳、数か所の神籠石、江田船山古墳などの首長墓です。
岩戸山古墳の東300メートル、博物館のすぐ近くにあるのが乗場古墳です。前方後円墳ですが、昭和30年代に周溝は削られて、今はありません。

前方後円墳 は、磐井の一族ではない・・・?
、磐井の乱後は大きい前方後円墳は作られなくなり、装飾のある円墳に代わるそうですから、横穴式石室に装飾を持つ乗場古墳(前方後円墳)は、磐井の一族ではないということでしょうか。または、一族の中の別の家系だったのかも知れませんね。同じく磐井の乱後に築造されたという装飾を持つ弘化谷古墳は、大円墳で石屋形があります。別の氏族の墓なのでしょうね。
更に、岩戸山古墳(磐井の墓)の石製の大刀には勾金(まがりかね)がついています。大刀の束を飾るものですが、環頭大刀は大刀の頭に輪がついているものです。このような飾大刀は、勾金のついた大刀より古い大刀のように思われますが、どうなのでしょう。岩戸山古墳より新しいということですから…
 
 

「天使の梯子」2

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月20日(水)16時29分24秒
返信・引用
  >女神イシュタルのためだけでも180の祭壇があった。https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000210

天幕式家屋・・・

夏至点は黄 経90度、秋分点は黄経180度、冬至点は黄経270度となる。
黄道座標(こうどうざひょう、ecliptic coordinate system)は天球上の天体の位置を表すための天球座標系の一種で、黄道を基準とする座標系である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%81%93%E5%BA%A7%E6%A8%99
黄道座標では、天球上の緯度と経度にあたるものとして黄緯(こうい、ecliptic latitude: β)と黄経(こうけい、ecliptic longitude: λ)を使用する。
黄緯は地球の公転面の天球上への投影である黄道を0度、地球の公転面に垂直な方向を90度として表す。符号は地球の公転が反時計回りに見える側を + 、反対側を - とする。黄緯が+90度となる位置を黄道北極、黄緯が-90度となる位置を黄道南極という。黄道北極はりゅう座(すぐそばにキャッツアイ星雲NGC6543がある)、黄道南極はかじき座にある。地球の歳差運動による天の北極、天の南極の天球上の運動は黄道北極、黄道南極を中心とする円運動に見える。
黄経は春分点を0度として、太陽の黄道上の見かけの運動方向と同じ方向に向かって値を増やして春分点に戻る360度まで数える。すなわち夏至点は黄経90度、秋分点は黄経180度、冬至点は黄経270度となる。地球の歳差運動によって春分点の位置が黄道上を移動していくため、黄経の値は歳月とともに変化していく。
黄道座標は地球の公転面を基準とした座標であるので、太陽系内の天体の運動を表すためによく用いられる。この時、地球から見た天体の黄道座標と太陽から見た天体の黄道座標では値が異なる。例えば新月の場合に月は地球と太陽の間にあるが、地球から見た月の天球上への投影位置と太陽から見た天球上への月の投影位置は180度反対側になってしまう。このため太陽系内の天体を黄道座標で表す場合には、地球と太陽どちらから見たときの黄道座標なのかを明らかにする必要がある。そこで地球から見た時の黄道座標を地心黄道座標、そのときの黄緯と黄経を地心黄緯と地心黄経と称し、太陽から見た時の黄道座標を日心黄道座標、そのときの黄緯と黄経を日心黄緯と日心黄経と称して区別する。地心黄道座標は地球の周囲を周回する人工衛星の位置を記述するために、日心黄道座標は太陽の回りを公転する天体、人工惑星の位置を記述するために使用される。

北極五星と北斗七星を中心に参宿(オリオン)などが描か れています。 星をあらわす点を赤線でつなぎ、そのまわりには赤道や黄道も表現されて おり現代の天文学のル-ツとなるもので、東アジア最古の天文図ともいわれています。
キトラ古墳発掘情報http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/kitora/hakutsu_01.html
星宿は天井の中央に描かれていました。
北極五星と北斗七星を中心に参宿(オリオン)などが描かれています。

「北極五星=太子(γ)・帝(β)・庶子(ζ)・后宮(δ)・天枢(北極星・ポラリス)」 ... びん座は初夏の夜の空、乙女座1等星スピカと蠍座の1等星アンタレスのほぼ中間 ...
>座る所・・・ たていち・・・立地?・・・観測梯(かんそくてい)  梯子http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2276
勹 斤
厩(うまや キウ )=〔勹+九(キュウ ク)勾(コウ ク)・・・匈〔勹+凶(コヨウ ク)〕奴 匈奴戸 :とどめる「九」 「禹」の字の「冂」の部分は、「九」です。 http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/list/?page=288.6&&TEACUPRBBS=0af47494cf097aca6b78ef35b1de59a1

胸」の漢字分解は「月(肉・舟)+匈(勹メ凵)」である。星座では「オリオン座の上下の身体 、胸腹と腰両足を分(別)ける三星」である。「天照大神の左の御角髪の八尺の勾璁、左 の御角髪の珠、右の御角髪の珠、御鬘の珠、左の御手の珠、右の ...http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2147
北極星とは七星からなる「小熊座の尻尾の星」である。「一刀=剣=矛」とは「大熊座の北斗七星の柄」でもあり、この北極星を周回する柄のhttp://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/tenmon60/tenmon2.html
 「゜ ̄゜ ̄゜ ̄゜凵゜」の「枡形(升形)一辺の五倍先」が
天体で動じない北極星なのだ。
 そして、「小熊座=小北斗七星(枡形4星=β・γ・η・ζ+柄2星=ε・δ)+北極星(小熊座の尻尾)」は
 中国の天体図
 「紫薇垣」では
 「北極五星=太子(γ)・帝(β)・庶子(ζ)・后宮(δ)・天枢(北極星・ポラリス)」
 の星々となっている。
 この「大熊座の尻尾の星」が「黄昏」に指す方位「十二支=十二辰」の「一支」が月間=月節の始まりとその月の期間であり、そして、その日の時刻は「大熊座の尻尾」が十二支の一支を指し示し、その区間を移動する時間帯が一刻2時間である。
 「辰」は「水星=辰星」の意味も有し、「さそり座首星アンタレス」で、「大火星」でもある。方位は東南東30度区間。朝の7時から9時までの2時間。日月星の総称であり、それらの居場所であり、時間(とき)の総称でもある。その原義は「大きい二枚貝」で、「蜃」が原字である。
 「辰」とは「蜃=二枚貝」が貝殻から足(舌)を出して移動する様子であるらしい。また天の「雷(かみなり)」に関連して天体の「振動・震動)」の意味になった、らしい。

スナワチ、北極星(小熊座の尻尾・ポラリス)を巡る「北斗七星の柄杓=大熊座の尻尾」が示す「八方位(移)」で、北極星を巡る天体、北斗七星の円周位置、移動の事象の象徴意である。「辰」の漢字が「二枚貝の足(舌)」とされるのは「対」である二枚の合わさった貝殻から「足(舌)」を出し、それが「棒状」であり、その動きで移動するからである。巻貝は形が螺旋形で、渦を巻いているものである。田圃の「田螺(たにし・デンルイ)」である。地上で類似するのは、葉っぱの上をゆっくりと移動する「蝸牛(かたつむり・カギュウ)」である。巻貝の大きいものは「

北ける(まける)」という読みがある。 「匠」は会意文字で、 「匚」は差し金、「斤」はおのを意味 し、 大工・技術者を表している。 なので「匠(たくみ)」。 「匿」は「かくれる」を意味するから、 「 匿名」で「自分の姓名を隠すこと」。 「勹」の読みは「ホウ・つつみがまえ ...http://mariorima.hatenablog.jp/entry/20110402/1301762054
匕部 さじ
北ける  まける

因みに「包」は「パオ」という
アジア遊牧民族の天幕式家屋の意味も持つ。

日本の神社の構造は、イスラエルの幕屋 とエルサレム神殿のデザインと類似している点が多数あります。http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=59

昔から予言されてい た「最後の審判の前の合図」であり、同時に“終末の世の到来”と“救世主の再臨”を意味 する天体現象であります。 ... 古代イスラエルの礼拝所に“幕屋”という砂漠に立てる巨大 なテントのようなものがあり、その大きさは縦5.4mで横18mの大きさとなっ ...http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51921683.html

赤道円と黄道円が2箇所交わったところがありますが、上側が春分点、下 側が秋分点となります。 ... (二十八宿:畢宿)とプレアデス星団M45(二十八宿:昴宿)との 間を通っていますが、キトラ星宿図ではオリオン座(二十八宿:参宿・伐宿)を通ってい ます。
キトラ古墳2・黄道  http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/jpnkitorazza.htm
約16000年前?
 学術報告書に掲載されていた「天文図の写真」から時代を推定しますと、人類発生前、今から約16000年前に書かれたものですね(^^; これじゃ~トンデモ本ですね。
黄道円のずれ
 オリオン座
 黄道円は大雑把に言えば太陽系の面です。ですので星と黄道との関係は殆ど変化しません。黄道円はおうし座のヒアデス星団(二十八宿:畢宿)とプレアデス星団M45(二十八宿:昴宿)との間を通っていますが、キトラ星宿図ではオリオン座(二十八宿:参宿・伐宿)を通っています。
 つまりは黄道円自体大間違いと言うことですね。

キトラ古墳の黄道円は、淳祐と比べますと南北を軸に対象になっています。つまり、南北を軸にして逆さに写してしまったと言う事なのです。
 ハハ早く言ってよね。計算しちゃったよ(^^;

おうし座ξ星とおうし座οの間に赤道が通っています。これは紀元前約150年のことですね。http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/jpnkitorazze.htm
西暦2800年の位置にある星もある。これじゃ、どの星を使うかで結果がまるで違ってしまいますね。

図の右が淳祐天文図の弧矢で、左が天象列次分野之図の弧矢です。
 現在の星座で言いますと矢の先がおおいぬ座のシリウスで、弓の部分はとも座の1部になります。
 淳祐天文図は中国南宋時代1247年のもので、天象列次分野之図は李氏朝太祖の時1395年のものです。

 キトラ古墳の弧矢は上記右図の天象列次分野之図と同じ型をしておりました。http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/jpnkitorazzb.htm

「全て45度ずれてしまった」のは白虎さんのせいだとしまして、「黄道が45度ずれていた」のは多分内規・赤道・外規と違い黄道は「同心円ではない」ためではないでしょうか。http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/jpnkitorazzc.htm
 つまり「星を描くと同心円」は同じ作業として行って「黄道」を後から書いた。その際、間違ってもう一度、45度回転させてしまったと言う可能性もあるような気がしないでもないですね~。ウム?
 

縄文時代の沖縄の「港川人」は、アボリジニ似だったらしい。

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月18日(月)23時22分55秒
返信・引用
  2013-09-18 | 日本の不思議(古代)http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/0b86e6664cc1ace6313276afcf6d6e56
「港川人 縄文人と似ず・・顔立ち復元、独自の集団か」
沖縄でみつかった旧石器時代の人骨「港川人」の再調査を進めている国立科学博物館が、顔立ちの復元図を作り直した。
縄文人の祖先とされていた従来のイメージから大きく変わり、オーストラリアの先住民といった雰囲気だ。
日本人がどのように形成されたのかという仮説が、新たな研究によって見直されていることを分かりやすく示している。

アボリジニーのDNA分析 http://sicambre.at.webry.info/200705/article_15.html
現代のアボリジニーとアジア人のミトコンドリアとY染色体のDNAを比較し系統樹を復元したところ、アボリジニーが7~5万年前頃にアフリカよりユーラシアに進出した人類の子孫であり(ミトコンドリアDNAのハプログループではM・N、Y染色体のハプログループではC・F)、ニューギニアやメラネシアの人類集団と遺伝的に近く、更新世の東南アジアのエレクトスとの混血の痕跡は認められなかった、とする研究が発表され、ナショナルジオグラフィックやニューヨークタイムズなどで報道されました。これは多地域進化説への痛打となり、現生人類のアフリカ単一起源説を強く支持するものだとされています。
 また、アボリジニーやニューギニアやメラネシアの先住民の遺伝的系統はかなり孤立していて、移住は5万年前頃の一度だけだと推測され、完新世にアジアからオーストラリアに人類が移住して混血したとする説に疑問が呈されています。論文の執筆者の一人であるキジヴィルド博士は、ディンゴは交易でもたらされたのではないか、と示唆しています。
 

日本列島人の起源

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月18日(月)23時09分34秒
返信・引用
  世界最古級の稲作遺跡である河姆渡遺跡(中国新石器時代) からわずか600年で渡来 した日本の縄文稲作 岡山県の灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前) の地層から、 イネのプラントオパールが大量に見つかった。
岡山県の灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/37965244.html

継体天皇のお墓は三島の藍http://o-mino.la.coocan.jp/page824.html
今城塚古墳は中国人の匂いがして仕方がないのです。

岡山南遺跡(おかやまみなみいせき)は、四條畷市岡山東四丁目から大字中野 にかけて広がる遺跡で、旧石器時代、縄文時代、古墳時代、平安時代、中世(鎌倉時代 ~室町時代)と各時代に人が暮らしていた跡が見つかっています。http://www.city.shijonawate.lg.jp/kanko_sangyo_bunka/rekisibunnkazai/bunkazai/nawatenobunkazai/1434090556745.html

「皇南大塚北墳という韓国で一番大きい、長さ110メートルの新羅の古墳からは、 77個の勾玉が付けられた王冠が出土している。
瑞鳳塚、天馬塚、金冠塚などの古墳出土の王冠には、 40個とか、50個、60個近いような数の日本翡翠製勾玉が付けられている」
(門田誠一「古代韓国の玉文化」参照。『古代翡翠道の謎」から)http://kitade.stonesbazar.lolipop.jp/?eid=1232860
「朝鮮半島の南部の既発掘と未発掘の古墳に埋蔵されている硬玉製曲玉は15000ないし20000以上の数が推算されます。
百済地域と伽耶地域をふくめるならもっと多数の硬玉製曲玉が算出されます」
(李殷昌「韓国の玉文化」参照。『古代王権と玉の謎』から)

朝鮮半島出土の翡翠勾玉については、両国の考古学者が見解を統一するに至っていませんが、日本の研究者たちはこれら翡翠勾玉は、すべて国産のもので、倭の五王の時代に交易によって朝鮮半島に渡ったものだと考えています。

翡翠の勾玉が、新羅、百済、高句麗が並び立った三国時代(4~7世紀)、朝鮮半島で 大量に出土している。合計で数百点をくだらない。中でも、新羅の首都が置かれた慶州 の古墳から数多く見つかっている。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/yamataikokuco/hosoku/gyokuco.html
 ところが、日本では5世紀半ばから6世紀の初め頃、出雲地方を例外として翡翠の製作が見られなくなる。奈良時代に入ると、翡翠文化の影だけを残して翡翠が姿を消す。なぜ翡翠が生産されなくなったのか解明されていない。この頃、大和王朝の祭祀権を廻る政権交代があり、これに関係していると思われる。

検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じ 組成であることが判明し、倭から朝鮮半島へ伝播した事が明らかとなった。https://blogs.yahoo.co.jp/hs_anriver/4721656.html?__ysp=5pyd6a6u5Y2K5bO25Ye65Zyf44Gu57%2Bh57%2Bg5Yu%2B546J
縄文時代草創期(13,000年前)から、縄文人はヒスイが農具や武器の使える程硬い鉱山石である事を知っていたし、その鉱山が何処にあるかも知っていた事になる。弥生時代になって、中国の淅江省、江蘇省、山東省、遼寧省、吉林省や朝鮮半島から、鉄鉱石を求めて渡来したのも、倭には、ヒスイの鉱山を始めとした優良な鉱石がある事を知っていたのではないでしょうか。
 古事記から神話の話を付け加えると、イハレビコの祖先、天孫の日向三代が、アマテラスに豊葦原の瑞穂の国を治めるように仰せになった前の葦原の瑞穂の国を治めていたのは、出雲の国のオホクニヌシ(ヤチホコ)であったが、高志の国のヌナカハヒメを妻にしている。このヒメは、糸魚川の姫川のヒメであり、ヒスイの産地のヒメである。また、オホクニヌシは天孫系からも妻にしている。それは、アマテラスとスサノヲがウケヒして、アマテラスがスサノヲの十拳の剣を噛み砕いて、噴出した三女神のひとり、タキリビメである。縄文時代の出雲の国の権力者が、糸魚川のヒスイの鉱山を手に入れるため、嫁にした事になる。

日本で翡翠勾玉が発見されたのは、紀元前5000年頃の縄文時代の遺跡からですね。中国では、満州南部、中国東北の遼河文明の興隆窪文化(紀元前6200年頃~紀元前5400年頃)や紅山文化(紀元前4700年頃~紀元前2900年頃)の遺跡からも翡翠勾玉が発見されています。この翡翠はモンゴルの和田玉なのでしょう。ということは、遼河地方から日本に渡って来て、日本で翡翠勾玉を作ったと仮設することもできますね。

遼河文明(りょうがぶんめい)とは、中国東北の遼河流域で起こった中国の古代文明の 一つ。紀元前6200年ごろから存在したと考えられている。 ... https://blogs.yahoo.co.jp/hs_anriver/18487960.html?__ysp=6YG85rKzICAg57%2Bh57%2Bg
中国の三大文明の一つに遼河文明があり、紀元前6,200年ごろから満州南部、中国東北の遼河流域で起こった。この文明の中には、興隆窪文化(紀元前6,200年頃~紀元前5,400年頃)、新楽文化(紀元前5,200年頃-紀元前4,800年頃)、趙宝溝文化(紀元前5,400年頃-紀元前4,500年頃)、紅山文化(紀元前4,700年頃~紀元前2,900年頃)、夏家店下層文化(紀元前2,000年頃~紀元前1,500年頃)、夏家店上層文化(紀元前1,100年頃~紀元前500年頃)があります。1,908年に考古学者の鳥居龍蔵が遼河文明の一つである紅山文化を発見したこともあって、紅山文化が遼河文明の中心と考えられます。
 紅山文化の特徴は、墳墓から翡翠や石を彫って動物などの形にした装飾品が多く出土し、紅山文化の玉龍(龍を彫った玉)の造形もたくさん見つかっています。

平底の 円筒土器やけつ状耳飾りなどは遼河文明(興隆窪文化)との類似性が指摘されている。
三内丸山遺跡https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1
環状配石墓
道の跡周辺からは環状配石墓(ストーンサークル)も検出されている。この墓はムラ長の墓とも考えられている。石の並べ方が、南方のやや離れた所にある小牧野遺跡と共通しているとして注目されている。また、1999年10月6日にこの墓の一つから炭化材が出土したが、これは最古の「木棺墓」の跡であるとも言われる。

吉武高木遺跡の木棺墓から一揃い で出土したものであり、青銅器はすべて朝鮮製であるhttp://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_04_05seidoukibunnka_no_tourai.html
水田稲作農耕の伝播には、当初、縄文人が主体的役割を果たしたとみられるが、縄文文化から弥生文化への大変革が起こった背景には、“渡来人”が集団で渡来しこの列島で生活を始めたことがある、と考えると自然である。
遼寧式青銅器文化は、中原(黄河中流域の平原地帯)の青銅器文化をベースとし、北部の遊牧民の青銅器文化(更にいえば、青銅器発祥の地である西アジアから遥々遊牧民がもたらした青銅器文化)を融合した独特の文化といわれる。
今川遺跡出土の銅鏃・銅鑿に使われた遼寧式銅剣は、下図の松菊里遺跡の石棺墓出土のそれと同型の古式剣といわれ、更に、再加工された同じような銅鑿(下の写真の左下)も発見されていることから、朝鮮北部から中西部朝鮮を経て、南部朝鮮に至り、さらに海峡を越えてもたらされた舶載品であることは間違いないところであろう。
青銅器文化の本格的渡来
 弥生時代の渡来人や文化要素は、全てがまとまって到来したわけではない。何回にも分かれて各地からやって来たものである。そのなかで青銅器をキーとしてとらえると、今川遺跡のそれを初期段階として、本格的渡来は、前期末から中期初頭にかけての時期である。
 このころ、朝鮮半島は青銅器文化の第3期に入っており、銅剣は、遼寧式銅剣を祖形とする朝鮮化した細形銅剣に進化し、銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)が武器として加わり、さらに多鈕細文鏡、鈴などで構成されていた。

、日本人の先祖はロシアの バイカル湖から南下してきたことが判明したのだ。 ... http://www.huffingtonpost.jp/foresight/jomon-man-dna_b_7601964.html

、「分かってきた縄文人のDNA」 なる特集が放映された。http://www.huffingtonpost.jp/foresight/jomon-man-dna_b_7601964.html
バイカル湖畔から南下し華北に暮らしていたD系統だが、漢民族の圧迫から逃れるためにさらに南下し日本列島にやってきて、縄文人の中核を形成した。かたや、弥生時代に渡来した人々は長江流域で水稲栽培をしていたO系統だ。やはり、漢民族に滅ぼされて逃れてきたという。また、朝鮮半島の人びともO系統である。

現代の日本人の体の中に占めるD系統の割合は3割、O系統は5割と、渡来系の比率が高い。この数字だけ見れば、やはり渡来人に先住民が圧倒されたと思えてくる。 しかし、前回示した「少数渡来」「先住民との融合」「列島人の稲作民化」「継承された縄文文化」「稲作民の人口爆発」という有力な仮説を用いれば、謎はなくなる(2015年5月18日「『任那日本府』の何が問題か」参照)。

抜歯は縄文人に多いと言われますが、実際には旧石器時代の事例( 港川人)にもあり、20世紀まで残った風習です。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10139470540?__ysp=5oqc5q2v44Gu6aKo57%2BS
縄文人が行った抜歯の意味は「成人儀礼」や「婚姻」に伴う証明のようなものです。
また抜歯は縄文人に多いと言われますが、実際には旧石器時代の事例(港川人)にもあり、20世紀まで残った風習です。
その分布はアフリカ・東アジア・オセアニアに中心があり、シベリアやアメリカにも広がっていました。
抜歯は縄文人だけでなく弥生人にもあり、古墳時代にも被葬者のものと違う歯が一本出土した事例(徳島・内谷古墳、4世紀)もあって、死者を哀悼する抜歯があったと言われています。
また6世紀の大阪・大藪古墳の例では黒く塗った歯が出土していて、抜歯がお歯黒に移行したという説もあるそうです(田中・佐原ほか2006)。

港川人(みなとがわじん、Minatogawa people)は、約20000~22000年前に日本の 沖縄県に存在していたとされている人類。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%B7%9D%E4%BA%BA
かつて港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきた[8]が、2009年の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析結果が出ている[9]。港川人は現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いのではないかという説である。 国立科学博物館の海部陽介研究主幹によると、港川人は本土の縄文人とは異なる集団だった可能性がある。つまり、港川人は5万~1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来したことになる。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたのではないかと述べられている[2][5]。
沖縄県立博物館・美術館には「港川人復元像」が所蔵されている。また、八重瀬町立具志頭歴史民族資料館には、常設展示の1つとして港川人コーナーがあり、全身骨格のレプリカやこれまでの研究成果が紹介されている。
沖縄の古代人骨としては、2014年には港川と近距離の沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で少なくとも9000年以上前の人骨が発掘され、調査が進められている[3]。 また、石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡からも、約2万年前の古代人全身骨格が数体見つかっている。

はっきりと確認される日本で一番古い人類の化石は、沖縄の港川人といわれている。 ...
縄文人の祖先http://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/jinrui-02.htm
7万年前ほどから地球は氷期に入り、大量の水が氷として陸地に固定されたために海水面が低下し、東南アジアにはスンダランドという広大な陸地が広がっていた。アフリカから世界に散っていったホモ・サピエンスの一部のここにたどり着いたと考えられる。下の黒●はこうした人類の化石が出る場所であり、その年代は3万5000年前~3万4000年前ころのものである。彼らは陸上で狩猟採集生活を送るばかりではなく、丸木船を造って海にも乗り出した。
 こうして海に進出したモンゴロイド(蒙古系)の中の南方系の人たち(スンダドント)の一部は、黒潮に乗って北上し沖縄にも移り住んだと考えられる。
 はっきりと確認される日本で一番古い人類の化石は、沖縄の港川人といわれている。港川人は沖縄の具志頭村港川石灰岩採石場で1970年に発見された。現在までに4体分の骨が出ている。炭素14法(14C法)で求められた年代は1万8000年前~1万6000年前を示す。同時代の東-東南アジアの人類化石と比べると、骨格は中国の山頂洞人や柳江人よりも、インドネシアから出土するワジャク人に似ている。こうしたことから、港川人、さらに縄文人は南方から黒潮に乗ってやってきた人たちの子孫だと考えられている。
 

謎の意味を語る

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月18日(月)18時42分19秒
返信・引用
  旧約時代、エチオピヤは、エジプト南端スエネからナイル川流域、北部アビシニヤ、 スーダンに及ぶ東アフリカ一帯を言い、ヘブル語でクシと呼ばれていた。
イザヤ書第18章、スーダンで起きた飢饉の意味。http://ncode.syosetu.com/n5439cq/42/
※『クシ(Kushi)』。ヘブライ語で、『黒人』を意味する。
クシとは、旧約聖書においては、箱舟のノアの孫にあたる「クシュ」が由来で、その「クシュ」という名を取って、紀元前にエジプト南部からヌビア一帯に繁栄した文明は、「クシュ文明」と呼ばれています。

18:7その時、川々の分れる国の
たけ高く、膚のなめらかな民、
遠くの者にも近くの者にも恐れられる民、
力強く、戦いに勝つ民から
万軍の主にささげる贈り物を携えて、
万軍の主のみ名のある所、シオンの山に来る。
(清らか川々のながれる日本という国の)
(精神があり、その行いの正しい民)
(神の恵みがあるので、それに気がつくと恐れられる意味ある民)
(唯一神にささげる贈り物を携えて)
(唯一神の御名のある所である、神の契約を受ける民の場所に人は集まる)
※その日本に万軍の主を意味するヤコブがいることを知る。

知られざる苦渋の日々とその証明された言葉の恐ろしさ。
※それと大切な言葉がコーランにある。
現実になっている恐ろしき意味。

わたしの言葉を信用せず、その言葉を侮り、それを認めずに中傷した者がいた。
その者は記されているとおり、心臓の病になり、その恐ろしき意味を痛感している。

1. 災いなるかな,凡ての悪口を言って中傷する者。
2. 財を集めて計算する(のに余念のない)者。
3. 本当にその財が,かれを永久に生かすと考えている。
4. 断じてそうではない。かれは必ず業火の中に,投げ込まれる。
5. 業火が,何であるかをあなたに理解させるものは何か。
6. (それは)ぼうぼうと燃えているアッラーの火,
7. 心臓を焼き尽し,
8. かれらの頭上に完全に覆い被さり,
9. (逃れることの出来ない)列柱の中に。

※アラーとは唯一神を意味する言葉。

神という意味である。http://ncode.syosetu.com/n5439cq/1/

重要なその謎の意味を語るhttp://ncode.syosetu.com/n5439cq/
旧約聖書に記された意味と、それを含める12人の預言者の言葉の重要性。
そして、それプラス、ムハンマドが言った言葉の証。
聖書を証明するためにコーランがある。
そのすべての意味を伝えたいと思う。

悟れ(聖書とコーランの証明は終わりが近づいた。) http://ncode.syosetu.com/n5439cq/111/

釈迦もそうだったし、イエスキリストも雄ヤギの聖霊を悪魔と思い、重大なミスを犯している。http://ncode.syosetu.com/n5439cq/112/
48:8あなたはこれを聞くこともなく、知ることもなく、
あなたの耳は、いにしえから開かれなかった。
わたしはあなたが全く不信実で、
生れながら反逆者ととなえられたことを
知っていたからである。
48:9わが名のために、わたしは怒りをおそくする。
わが誉のために、わたしはこれをおさえて、
あなたを断ち滅ぼすことをしない。

こう記されているように、後世にくる隠された意味を持つ人物は、必ず雄牛の聖霊の重要な答えを悟ることになる。

この時のタイトルで、その内容を話してはいないが、キリスト教でないことは宣言していた。

何故か、やがて知りえる意味に、キリストの死後にその権威を利用して教義を作り上げた者たちがいたのである。
 

鳩摩羅什(くらまじゅう)・・・鞍馬 ジュー 什(ユダヤ)

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月16日(土)16時49分3秒
返信・引用
  鞍馬山の中腹にある鞍馬寺にはダビデ の星が描かれているのをご存知でしょうか?
天狗はイスラエル人 https://ameblo.jp/lovely-corgi2634/entry-11245134410.html
山伏は「虎の巻」をユダヤ人はトーラースクロール(トーラーの巻物)を持っています。

什叶 派の意味や日本語訳。http://cjjc.weblio.jp/content/%E4%BB%80%E5%8F%B6%E6%B4%BE
シーア派という,イスラム教の宗派

ユダヤ人は、イスラエル在住か、ディアスポラか、さらには、超正統派かそれ以外の宗派 かでもグループが別れる。 ...... この点においては、同じくテロ組織支援を疑われている イラン(シーア派)と、カタールは協力関係にあると指摘されていた。 ..... その後救われて 、メシアニック・ジューとなった。 2年ほど ..... トランプ大統領来訪、エルサレム統一50 周年記念、さらにその2日後の26日、イスラム教のラマダンが始まった。
イスラエルとディアスポラの対立http://mtolive.blog.fc2.com/blog-date-201706.html
ユダヤ人といえば、一つの民族で一枚岩だと思われているが、そうではない。まずは、イスラエルに住むユダヤ人か、イスラエル以外の国々に住むユダヤ人かという2つの大きなグループに分かれる。後者が”ディアスポラ”と呼ばれている。

イスラエル以外の国々に住むユダヤ人・・・反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げている。
レバノン内戦へのイスラエル軍侵攻を受けて1982年に結成された。レバノンを中心に活動している急進的シーア派イスラーム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とする。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げている。

メシアニックジュー (ユダヤ人 イエス ...
日本の神道のルーツはユダヤ教だった?http://saiyasunemituketai.blog.fc2.com/blog-entry-66.html
日本神道の原型を伝える伊勢神宮・諏訪神社・鞍馬・貴船神社に 何故あるのかとか謎ですよね?
ユダヤ教の教典『旧約聖書』のなかに、神道の基本骨格が すべて含まれているそうです。

仏教の発祥地から日本へ伝来してきたルートと法華経を訳した鳩摩羅什(くらまじゅう) の生誕地クチャhttp://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000070980
中インド→ガンダーラ→アフガニスタン→西域→中国→朝鮮→日本に伝来とある。

クチャ. クチャ県(庫車県) - 中華人民共和国新疆ウイグル自治区アクス地区に位置する 県。 亀茲 - かつて上記のクチャ県付近にあったとされる古代国家。 沖縄県にある泥岩。 アイヌ民族が遠くへ狩りに行く際などに建てた仮小屋。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A3

庫車(クチャ)http://bewithgods.com/hope/doc7/7-17.html
また、イスラエル人はウルの言葉を話し、楔形文字を使っており、これが発展して、独自 のヘブライ語とヘブライ文字が誕生しました。しかし、出 ...... クメヂヨとは天(アン)地(ク) 風神(バ・エン・リル・ラ)の転靴語で、庫車(クチャ)と同根。そして鳥 ...

亀茲(きじ、きゅうし、拼音:Qiūzī)は、かつて中国(東トルキスタン)に存在したオアシス 都市国家。現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区アクス地区クチャ県(庫車県) 付近にあたり、タリム盆地の北側(天山南路)に位置した。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E8%8C%B2

中国支那共産党がこれほどまでに執拗に弱小民族のチベット族と ウィグル族を惨殺しようとするのか ... しかし、近年になり、現代イスラエルのユダヤ人( この人達の大半は古代ハザール系のアシュケーナージ・ユダヤ人=偽 ...
チベット族とウィグル族もまた「古代イスラエル10支族」の仲間だ! http://quasimoto.exblog.jp/21266525/
結論から先に言うと、日本人はチベット族とウィグル族の味方になって彼らを救わなくてはいけないということである。なぜか? それは、我々も彼らも共に古代イスラエル10支族の子孫の共通のハプロタイプの遺伝子を持っている稀な民族だからである。
近年になり、現代イスラエルのユダヤ人(この人達の大半は古代ハザール系のアシュケーナージ・ユダヤ人=偽ユダヤ人=Fault jewsである )の「アミシャブ」

我々古代イスラエルの失われた10支族の末裔は、世界中で虐殺されてきているというわけである。
西洋の古代ユダの2支族の視点でみれば、「失われた」というに過ぎないが、我々は連中が嫌で逃げてきたわけですナ。何か西洋に居残った連中とは相容れない部分があったわけである。
おそらく、「居残った2支族」は「一神教」、「失われた10支族」は「多神教」を基本にするというかなり根本的思想が異なったのだろう。
「多神教」と言っても、日本の場合は「八百万(やおろず)の神」である。数~数十の神ではない。これは無限という意味である。
この世界に無限にどこにでも神がいるという思想と、たった1つしか神はいないという思想とではうまく理解し合えるはずがない。
にもかかわらず、現代イスラエルのアミシャブは日本にやってきた。
なぜ?
たぶん、日本を乗っ取るためか、日本を滅ぼすために来たのでしょうナア。
アミシャブは一神教のユダヤ人。日本人は八百万の神の古代イスラエル人。うまくいくはずはない。

なぜ古代イスラエル人はバアル信仰 ...http://66575033.at.webry.info/201103/article_1.html
聖書を読んでいて不思議に思うのは、再三にわたって預言者がバアル信仰を敵視している点です。
バアル信仰とは何か、なぜ古代イスラエル人はバアル信仰に引き付けられたのかと不思議に思い、いろいろ調べたところ、それなりに納得できてきました。

バアル神というのは、イスラエルの先住民であるカナン人(フェニキア人)の信仰であり、バアルとは「主」を意味します。
しかし、このカナン人というのは古代イスラエル人と同じセム系民族です。
セム系民族は何度かにわたって民族移動を繰り返し、カナンの地にも何度かにわたって渡来しました。
古代イスラエル人よりも古くから住んでいたセム系民族がカナン人です。

ということは、古代イスラエル人がセム系民族から分派する以前には、彼らと同様の信仰を持っていたと考えられます。
例えば、旧約聖書では古代イスラエル人の祖アブラハムは息子イサクを神に生贄として捧げようとしますが、バアル信仰では我が子を生贄として捧げ、豊穣(=大地の再生)を祈ります。これは、古代イスラエル人に本来バアル信仰があったという痕跡です。

バアル神は、右手に武器である矛、左手に雷を持っていると言われています。
基本的に乾燥地帯であるオリエント地方では、雨やそれに伴う雷というのは「恵み」であり、素直に神に感謝したことでしょう。
また、乾燥地帯であるゆえに、豊穣の時は、同時に周辺民族からの収奪から実りを守るべき時でした。それゆえ、武器が必要でした。

つまり、バアル信仰とは、乾燥と水の明暗がはっきりしているオリエント地方の素朴な信仰だったと考えられます。
バアルの敵対者はモトという神ですが、この神は乾燥の神です。とてもはっきりしていて素直な信仰です。

カナンに入植した古代イスラエル人がバアル信仰に走ったのは、
・バアル信仰がオリエントの気候に合った素直な信仰だった
・同じセム系民族の古くからの信仰が下敷きにあった
からでしょう。

それ以外にも理由は考えられます。
カナン人は裕福であったとされています。バアル信仰のフェニキア人は、当時の地中海の制海権を掌握し、地中海の富を集めていました。これを古代イスラエル人は羨望の気持ちで見ていたことでしょう。
その富の由来がバアル信仰にあると考え、豊かさを得るために、バアル信仰に走ったと考えられます。

また、古代イスラエル人は混血を厭わない民族でした。旧約の多くの部分に異民族との結婚が出てきます。例えば、モーゼの妻はミデアン人ですし、ダビデにも異民族の血が入っています。
異民族と結婚すれば、配偶者の実家は別の信仰を持っています。カナン定住以降は、先住民はカナン人ですから、その信仰とどう向き合うかという問題に、個々の古代イスラエル人が直面していたと思われます。配偶者の実家の信仰を完全に否定するのは困難でしょう。

つまり、古代イスラエル人が預言者から何度も叱られながらも、バアル信仰に走ったのは、
・バアル信仰がオリエントの気候に合った素直な信仰だった
・同じセム系民族の古くからの信仰が下敷きにあった
・フェニキア(バアル信仰)の繁栄に羨望していた
・先住民との結婚で、配偶者の信仰を否定するのが困難だった
といったことが考えられます。
人間としては、とても理解できる行動です。

古代イスラエル民族の危機時代(オリエントの強国による併?の危機)に完成したのが、ユダヤ教で、繰り返し繰り返し地球神ヤハウェへの絶対信仰が説かれますが、日本に来た古代イスラエル人はその滅亡という挫折を既に経験した後に、放浪しながらじっくりと信仰を充実させていったのだと思われます。(そのプロセスの中で、先祖供養の東アジア、太陽信仰・精霊信仰の長江文明人との邂逅が大きな転換点で、善良な神霊のおさまる日本への移住が最大の転換点だったと思われます。)

ユダヤ教では、バアル信仰が北のイスラエル王国、南のユダ王国の滅亡の原因だとされますが、そのバアル信仰を経た日本人はこれまで一度も滅亡することなく、独自の文化を保って繁栄しています。

聖書を紐解くときには、この点の重みを吟味する必要があるように感じます。
つまり、本当にバアル信仰のゆえにイスラエルの末裔の国家は滅んだのかという点です。(注:バアル信仰の中の人間の生贄や性的祭儀などは憎むべきものだとしても、それがバアル信仰の本質ではなく、これはおそらく欲心ゆえに混入した魔的な枝葉でしょう。)
むしろ、地球神ヤハウェの意図は、以前のブログで触れたように、「型」は同じで陰陽の関係にあるユダヤ人と日本人を創り出すことだったのではないかと思います。(そして、その意図はほぼ実現されています。この両民族が、近いうちに父母のような役割を果たすと思います。)

なお、伊勢白山道さんのブログによれば、
・バアル神はスサノオ命、
・ヤハウェは国常立太神
であるとあります。
ヤハウェ=クニトコタチ神というのは以前のブログでも触れました。
また、たしかにバアル神についてはウガリット神話に七頭の蛇を退治する神話があるそうです。スサノオ命に似ています。また、スサノオ命は暴風雨の神でもあります。この点も、バアル神とスサノオ命の共通点が見出せます。

古代オリエント地方での展開はここまででしたが、10部族が放浪する途上で、太陽信仰に出会います。
日本の神話では、クニトコタチ神は神代七代の神話としてさらっと触れられるだけで、神々の高天原の「主宰神」は恵み深い太陽神アマテラスオホミカミであるとされ、さらにスサノオ命(バアル神)はその弟で神々から罰せられたとされています。
実は、これこそが10部族の信仰上の大転換であり、10部族が後の日本人の源流となる原因である「発見」だったと思います。ここの古代イスラエルの信仰は、新しく誕生した日本人(当時は原倭人)の信仰へと「進化」します。

また、日常性の欠如は、①鎮守神への非偶像的祭祀、②先祖供養の二つで補われます。
「鎮守の神霊と祖霊が、今を生きる人間の日常を守る」という実践的な信仰が誕生します。これは、ユダヤ教の弱点である日常性の欠如を補うものでした。
これも、古代イスラエルの信仰が、日本人の信仰へと「進化」したものだと考えられます。

このような進化を遂げながら、日本人は形成されたと思います。
その日本人は、元のヤハウェの信仰から大きく離れていながら、日本列島に到着後一度も滅亡を経験したことのない民族です。(第二次大戦後のアメリカの占領をどう見るかという点は課題として残りますが…。)
このことを旧約聖書の預言者たちが聞いたら、卒倒しそうになることでしょう…。再三の主張になりますが、彼らの神の意図は、ヤハウェへの絶対的信仰よりももっと深いものであったと考えられます。
 

Y(ヤー 神 H(ハエ)) ヤー ソーラン

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月16日(土)15時49分49秒
返信・引用
  ヘブライ語で「ハエの王」(一説には「糞山の王」、糞の王」)を意味する。
ベルゼブブ (Beelzebub) は悪霊(デーモン)の君主の一名である。ギリシア語形ベルゼブル (Beelzebul) の名で新約聖書『マタイ福音書』などにあらわれる。旧約聖書『列王記』に登場する、ペリシテ人(フィリスティア人)の町であるエクロンの神バアル・ゼブブ(バアル・ゼブル)と同一とされる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%96%E3%83%96
ベルゼバブ、ベールゼブブとも表記される。新約聖書にもその名がみえる。この名はヘブライ語で「ハエの王」(一説には「糞山の王」[1]、糞の王」[2])を意味する。
本来はバアル・ゼブル (????? ?????? [Ba‘al z??ûl])、すなわち「気高き主」あるいは「高き館の主」という意味の名で呼ばれていた。これはおそらく嵐と慈雨の神バアルの尊称の一つだったと思われる。 パルミュラの神殿遺跡でも高名なこの神は、冬に恵みの雨を降らせる豊穣の神であった。一説によると、バアルの崇拝者は当時オリエント世界で広く行われていた、豊穣を祈る性的な儀式を行ったとも言われる。
しかし、イスラエル(カナン)の地に入植してきたヘブライ人たちは、こうしたペリシテ人の儀式を嫌ってバアル・ゼブルを邪教神とし、やがてこの異教の最高神を語呂の似たバアル・ゼブブすなわち「ハエの王」と呼んで蔑んだという。これが聖書に記されたために、この名で広く知られるようになった。
旧約聖書におけるベルゼブブ
「列王記下」第1章ではバアル・ゼブブ (????? ?????? [Ba‘al z??û?]) という名であらわれる。北イスラエル王国のアハズヤ王は部屋の欄干から落ちて重傷を負った時、エクロン(ペリシテ人の領土の北方にあった都市)で祀られていたバアル・ゼブブに自分の怪我の回復についての神託を求めた。しかしこれはヘブライ人の神ヤハウェを蔑ろにすることであり、預言者エリヤはアハズヤ王に、回復することなく死ぬだろうと告げ、その予言通りアハズヤ王は死んだという。

新約聖書におけるベルゼブブ
新約聖書の「マタイによる福音書」第12章や「マルコによる福音書」第3章、「ルカによる福音書」第11章では、律法者がイエス・キリストに対し、「悪霊のかしらベルゼブル (Βεελζεβούλ) の力を借りて悪霊に取りつかれた人を救っているに違いない」と非難したことが記されている。これに対してイエスは「悪霊が、仲間である同じ悪霊と争うはずはない、自分は聖霊によって悪霊を追い出しているのだ」と反論している。 旧約聖書では辛うじて神と呼ばれていたベルゼブブは、この時代には完全に悪魔とされていた。 このことから、イスラエルに移住してきたヘブライ人は、新約聖書の時代においてペリシテ人の生活様式や信仰を嫌い、仲が悪かったことが窺える。
また外典「ニコデモ福音書」3章に、ハーデースがサタンに対しベルゼブルと呼びかけている箇所がある。

近世での展開
近世ヨーロッパのグリモワールではフランス語形ベルゼビュート (Belzébuth)の名でもあらわれる。彼は大悪魔で魔神の君主、あるいは魔界の君主とされるようになった。 地獄においてサタンに次いで罪深く、強大なもの。権力と邪悪さでサタンに次ぐと言われ、実力ではサタンを凌ぐとも言われる魔王である。ベルゼブブは神託をもたらす悪魔と言われ、また、作物を荒らすハエの害から人間を救う力も持っている。この悪魔を怒らせると炎を吐き、狼のように吼えるとされる。
かつて、天界では最高位の熾天使で、天界の戦争においては、ルシファーの側近として戦ったという説話が創られた。また、蝿騎士団という騎士団をつくっており、そこにはアスタロトなど悪魔の名士が参加しているとされる。
パランジェーヌの「ゾディアコ・ヴィテ」によると巨大で、王座もそれなりに巨大、炎の帯を額に巻き頭には大きな角が二本ある。足はアヒル、尻尾は獅子、全身が真っ黒であったとされる。顔は眉毛はつりあがり、目をぎらつかせていたとあった。 また、ジル・ド・レは、ベルゼブブが豹の姿に変わるのを見たという。
『失楽園』(著:ジョン・ミルトン、1667年)でベルゼブブは、賢王にふさわしい威厳ある姿として描写されていた。一方、『地獄の辞典』(著:コラン・ド・プランシー)第6版(1863年)では、M・L・ブルトンの挿絵によって、羽根にドクロの模様がある羽虫の姿で描かれている(羽が四枚あるなど厳密にはハエそのものの姿ではない)。これはハエの王たる悪魔ベルゼブブもまたハエの姿であるというイメージによるもので、近代以降の絵画などではこの姿で表されることが多い。

ベルゼブルはヘブライ語なので、本来多くは「蠅の王、ベルゼブブ」と言いますね。 「高 所の神」が転化して、「糞山の神」という意味のベルゼブブとなったと説があります。

ベルゼブルはハエの姿https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1220330587?__ysp=44OP44KoIOODmOODluODq%2Biqng%3D%3D
もともとベルゼブブは、カナンの地で信仰されていた神です。ハエを殺す神、と言われていました。
それが時代をへて行くにつれ、悪魔である「蠅の王」に変化していったのです。新約聖書には、悪魔たちの皇帝、ともされています。

バアル(聖書ヘブライ語(英語版): ba'alu、ウガリット語: b'l)は、カナン地域を中心に 各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」、または「主人」「地主」を意味 する。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A2%E3%83%AB

主  シュー・・・嵐と慈雨の神 「独神」(ひとりがみ)

シュー (エジプト神話) (Shu) は、古代エジプト神話の大気の神。
シューhttps://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC(%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1)-1545058
古代エジプトの神話で、原初の創造神から生まれた男神。同時に生まれた女神テフヌトの兄にあたり、シューは空気を、テフヌトは水蒸気を表した。この2神はしばしば2頭のライオンの姿で表される。また、この2神から地の男神ゲブと天空の女神ヌトが生まれたが、父神シューは、初め抱き合っていた2神を引き離したといわれ、墓陵の壁画などには、頭上に羽毛をのせ、上方のヌトを支える姿で表されている。その崇拝の中心地はレオントポリス(ライオンの都)であった。[

風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と涿鹿の野に戦った(涿鹿の戦い)。
蚩尤(しゆう、拼音: Chīyóu)は中国神話に登場する神である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%A9%E5%B0%A4
兵主神
『史記』「封禅書」では蚩尤は八神のうちの「兵主神」[3]に相当するとされ、戦の神と考えられている。戦争で必要となる戦斧、楯、弓矢など優れた武器を発明、あるいはそれらに金属を用いるようになったのは蚩尤であると伝説されており[1]、『世本』では蚩尤が発明した五兵(5つの兵器)として戈(か)・矛(ぼう)・戟(げき)・酋矛(しゅうぼう)・夷矛(いぼう)[4]が、『龍魚河図』では兵杖・戟・刀・大弩が挙げられている。『呂氏春秋』「蕩兵」では、蚩尤は兵(兵器)を発明した元祖であると人々は言うが蚩尤は活用をしただけであり、それ以前から木などをつかった武器(械)は存在していた[5]、と説かれている。蚩尤が反乱を起こしたことで、これ以降は法を定めて反乱を抑えなければいけなくなったとも言う。『管子』でも金属を用いて剣・鎧・矛・戟などを蚩尤がつくりだしたと記されているが、ここでは蚩尤が黄帝の権臣として登場しており、両者の関係性がまったく異なっている[6]。
古代中国の鼎(かなえ)に文様として描かれている怪物のような顔は饕餮(とうてつ)を示したものとされることが多いが、この顔は蚩尤のものであるとする伝承も存在している。黄帝によって討たれた蚩尤の首をあらわしているとされる[7]。
九黎
蚩尤に味方したのは勇敢で戦の上手い九黎族、北方に住む巨人族の夸父だった。蚩尤は九黎の一族の長であったとも考えられている。戦いに敗退した九黎族は逃れて三苗となった。『書経』の「呂刑」によると黄帝(堯であるとも)は敵討ちを心配して苗民を皆殺しにしているが、この南方の民を根絶やしにできず、その後、三苗人は歴代の王を執拗に悩ます手強い敵となった[2][7]。

苗祖としての蚩尤
中華人民共和国の湘西トゥチャ族ミャオ族自治州花垣県(湖南省)では2001年に「苗族始祖蚩尤像」という蚩尤の大立像が建造された[8]。また、彭水ミャオ族トゥチャ族自治県(重慶市)には、「蚩尤九黎城」という蚩尤を祭祀した施設があり、2014年には九黎神柱という高さ24メートルにもおよぶ石刻柱が建てられている。これらに代表されるような蚩尤関係の顕彰は同地における蚩尤に関する民間伝承されていた祭祀と、古代の伝説に登場する蚩尤・九黎・三苗の存在を根拠として20世紀以後に構築された「苗族の始祖(苗祖)は蚩尤である」という説を色濃く土台としたものである[9]。

天皇大帝の用語解説 - 王権を基礎づける神話として《古事記》 神話が編成された時,その冒頭に置かれて神々の世界を統括した宇宙最高神。中国 では東方世界の主宰神として天皇大帝があった。
中国では東方世界の主宰神として天皇大帝があった。この神は天の中心にあって不動の北極星を神格化した神である。…https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%A4%A7%E5%B8%9D-1373990

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、日本神話の神。天地開闢に関わった五柱の 別天津神(ことあまつかみ)の一柱。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B9%8B%E5%BE%A1%E4%B8%AD%E4%B8%BB%E7%A5%9E
『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている(『日本書紀』では国之常立神 が初めての神)。その後高御産巣日神(たかみむすび)、神産巣日神(かみむすび)が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という。

平田篤胤は禁書であったキリスト教関係の書籍を読み、その万物の創造神という観念の影響を強く受けた[4]。そして『霊之御柱』において、この世界の姿が確定する天孫降臨以前の万物の創造を天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神によるものとした。この三神は復古神道においては究極神とされ、なかでも天御中主神は最高位に位置づけられている。
日本神話の中空構造を指摘した河合隼雄は、月読命(つくよみ)、火須勢理命(ほすせり)と同様、無為の神(重要な三神の一柱として登場するが他の二柱と違って何もしない神)として天之御中主神を挙げている[5]。

現在、主にこの神を祭る神社には、妙見社系、水天宮系と、近代創建の3系統がある。
1.妙見社系の端緒は、道教における天の中央の至高神(天皇大帝)信仰にある。北極星・北斗七星信仰、さらに仏教の妙見信仰(妙見菩薩・妙見さん)と習合され、熊本県の八代神社、千葉氏ゆかりの千葉神社、九戸氏ゆかりの九戸神社、埼玉県の秩父神社などは妙見信仰のつながりで天之御中主神を祀る妙見社である。妙見社は千葉県では宗教法人登録をしているものだけでも50社以上もある。全国の小祠は数知れない。
2.水天宮は、元々は天之御中主神とは無関係だったが、幕末維新の前後に、新たに主祭神として追加された。
3.明治初期に大教院の祭神とされ、東京大神宮や四柱神社などいくつかの神社が祭神に天之御中主神を加えた。

出雲大社では別天津神の祭祀が古い時代から行われていた。現在も御客座五神として本殿に祀られている。出雲大社が古くは高層建築であったことは別天神の祭儀と関係があるとする説がある[2]。

大王の称号を天之御中主神を意味 する「天皇」としたという珍説を唱えております。
聖徳太子の封印 4.天皇号の由来は天之御中主神か?http://www46.atpages.jp/mzprometheus/historyfolklore/14216
天皇が道教の天皇大帝に由来すというのはむしろ常識でございます。そして盤古説話によりますと、盤古は死にまして体が様々な自然物になります。左目から太陽、右目から月という要領ですね。なんと人民は盤古の寄生虫が成ったという説もあるようです。盤古の魂は天に昇って中心に座って天皇大帝(てんこうだいてい)になったのです。だからその実体は北極星です。

海洋や砂漠の通商民は北極星信仰で、農耕民は太陽神信仰だとしますと、いずれは太陽神信仰に乗り換えなければ権力が保てないということに気付いたわけですね。それで権力を保つためには、神々には差し替えの屈辱に耐えていただかなくてはならないということになったのです。

妙見信仰は日蓮宗で盛んでして、日蓮宗の中には天皇信仰を強調する国粋主義の団体もあったようですから、天之御中主神と天皇のつながりもその辺りを探ると出てくるかもしれません。

「北辰祭」が後に全国に広がって、庶民の間で俗に性交の事を「お祭りをする」と言 われるくらい当時としては一般的な習俗で、その後明治維新政府が取り締まるまで信仰 行事として続いた「暗闇乱交祭り」の原型だったからである。
皇統と鵺の影人http://jiyodan.exblog.jp/7937249/
北斗・北辰妙見信仰は、北極星が天体の中で不動の位置に見え、方位を示す「みちしるべ」として世界中で神格化され、その古代妙見信仰が五百年代から六百年代にかけて渡来人と伴に日本列島・大和合の国に渡来した。

つまり「北辰祭」が後に全国に広がって、庶民の間で俗に性交の事を「お祭りをする」と言われるくらい当時としては一般的な習俗で、その後明治維新政府が取り締まるまで信仰行事として続いた「暗闇乱交祭り」の原型だったからである。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、祭り(祀り)としての性交行事が認められていた。
大和朝廷は、七百九十六年(延暦十五年)に「風紀の乱れ」を理由に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止する。

日本に於ける神道系信仰習俗をまとめると、「歌垣の習俗」から「豊年祭り」に「エエジャナイカ騒動」、「暗闇祭り」から「皇室祭祀」に到るまで、「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」に集約される「妙見信仰」の影響が色濃く残っている。

実はこれらの神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。

延暦(えんりゃく、正字体:延?)は、日本の元号の一つ。昭和、明治、応永、平成に次いで、歴代で5番目に長い元号である。天応の後、大同の前。782年から806年までの期間を指す。この時代の天皇は桓武天皇。
1418年(応永25年)までの600年以上にわたって、最も長い日本の元号であった。その後1892年(明治25年)まで、日本で2番目に長い元号であった。1950年(昭和25年)までは3番目、2013年(平成25年)までは4番目に長い日本の元号であり、2014年(平成26年)以降は歴代で5番目に長い元号となっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6
宝亀元年(770年)8月に称徳天皇が崩御し、天智天皇の孫の白壁王が践祚した(光仁天皇)。

天平勝宝元年(749年)、聖武天皇が譲位し皇太子・阿倍内親王が受禅、孝謙天皇として即位した。これにより、同じく聖武天皇の皇女で孝謙天皇の異母姉妹である井上内親王・不破内親王の腹から、女性皇太子の地位を脅かしかねない男子後継者が生まれる可能性を警戒されることは無くなった。そして井上内親王・不破内親王姉妹も伴侶を求める機会が与えられることになり、天平勝宝4年(752年)頃までに、すでに斎宮を退任していた井上内親王は権力争いに巻き込まれる恐れのない白壁王と結婚した。天平勝宝6年(754年)の白壁王45歳、井上内親王38歳の時に酒人女王が誕生。それから俄然として昇進を速め、天平宝字3年(759年)には50歳にして従三位に叙せられる。天平宝字5年(761年)井上内親王45歳の時、他戸王(第四皇子)が誕生。天平宝字6年(762年)に中納言に任ぜられる。

桓武天皇(かんむてんのう、天平9年(737年) - 延暦25年3月17日(806年4月9日))https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
白壁王(後の光仁天皇)の第1王子として天平9年(737年)に産まれた。生母は百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠。当初は皇族としてではなく官僚としての出世が望まれて大学頭や侍従に任じられた(光仁天皇即位以前は山部王と称された)。
父王の即位後は親王宣下と共に四品が授けられ、後に中務卿に任じられたものの、生母の出自が低かったため立太子は予想されていなかった。しかし、藤原氏などを巻き込んだ政争により、異母弟の皇太子・他戸親王の母である皇后・井上内親王が宝亀3年3月2日(772年4月9日)に、他戸親王が同年5月27日(7月2日)に相次いで突如廃されたために、翌4年1月2日(773年1月29日)に皇太子とされた。その影には式家の藤原百川による擁立があったとされる[1]。

平城京における肥大化した奈良仏教各寺の影響力を厭い、天武天皇流が断絶し天智天皇流に皇統が戻ったこともあって、当時秦氏が開拓していたものの、ほとんど未開の山城国への遷都を行う。初め延暦3年(784年)に長岡京を造営するが、天災や後述する近親者の不幸・祟りが起こり、その原因を天皇の徳がなく天子の資格がない事にあると民衆に判断されるのを恐れて、僅か10年後の延暦13年(794年)、側近の和気清麻呂・藤原小黒麻呂(北家)らの提言もあり、気学における四神相応の土地相より長岡京から艮方位(東北)に当たる場所の平安京へ改めて遷都した。
また蝦夷を服属させ東北地方を平定するため3度に渡る蝦夷征討を敢行、延暦8年(789年)に紀古佐美を征東大使とする最初の軍は惨敗したが、延暦13年の2度目の遠征で征夷大将軍・大伴弟麻呂の補佐役として活躍した坂上田村麻呂を抜擢して、延暦20年(801年)の3度目の遠征で彼を征夷大将軍とする軍を送り、田村麻呂がアテルイら500人の蝦夷を京都へ護送した延暦21年(802年)に蝦夷の脅威は減退、翌22年(803年)に田村麻呂が志波城を築いた時点でほぼ平定された。
しかし晩年の延暦24年(805年)には、平安京の造作と東北への軍事遠征がともに百姓を苦しめているとの藤原緒嗣(百川の長子)の建言を容れて、いずれも中断している(緒嗣と菅野真道との所謂徳政相論)。また、健児制を導入した事で百姓らの兵役の負担は解消されたが、この制度も間もなく機能しなくなり、結果として無政府状態を招いた。

天武天皇(てんむてんのう、生年不明 - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は、7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
道教に関心を寄せ、神道を整備し、仏教を保護して国家仏教を推進した。その他日本土着の伝統文化の形成に力があった。天皇を称号とし、日本を国号とした最初の天皇とも言われる。
名の大海人は、幼少期に養育を受けた凡海氏(海部一族の伴造)にちなむ。『日本書紀』に直接そのように記した箇所はないが、天武天皇の殯に凡海麁鎌が壬生(養育)のことを誄したことからこのように推測されている[2]。
和風(国風)諡号は天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)。瀛は道教における東方三神山の一つ瀛州(残る2つは蓬莱、方丈)のことである。真人(しんじん)は優れた道士をいい、瀛とともに道教的な言葉である[3][4]。
漢風諡号である「天武天皇」は、代々の天皇と同様、奈良時代に淡海三船によって撰進された。近代に森鴎外は『国語』楚語下にある「天事は武、地事は文、民事は忠信」を出典の候補として挙げた。別に、前漢の武帝になぞらえたものとする説[5]、「天は武王を立てて悪しき王(紂王)を滅ぼした」から名付けられたとする説もある。

中国の神話
他の多くの文化と異なり、中国では太陽や月を神格化して崇拝することはない。その尤もな理由としては、月を陰、太陽を陽とみなす、中国の文化における道教と易経の強い影響力にあると思われる。詳しくは陰陽思想を参照されたい。
中国神話によると、初め10の太陽が天にあった。世界が非常に熱かったので、大地には何も生えなかった。そこで、后羿(こうげい)という弓の達人が9つの太陽を射落とし、現在に至るという。別の伝承では、日食は天の狼が太陽を食べることで引き起こされるとされ、日食の間、鍋や釜を叩いてこの「狼」を追い払う習慣が中国にあった。
月を陰、太陽を陽とみなす、中国の文化における道教と易経の強い影響力に あると思われる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%A5%9E
古代より世界各地で太陽は崇められ、崇拝と伝承は信仰を形成した。
太陽神といえばギリシア神話やエジプト神話に登場する男神が想像されるが、ブライアン・ブランストンを始めとする神話学者の中には、太陽神は男神よりも女神の方が主流であると論ずる向きがある。男神がギリシア神話やエジプト神話などの著名な神話に登場することが原因となり、太陽神=男神という解釈が生まれたというのである。「太陽=男=光」と「月=女=闇」の二元性は、オルペウス教やグノーシス主義の思想を源とするヨーロッパ地方の説話に少なからず見受けられるが、例外として、太陽が女神で月が男神となっている北欧神話、バルト神話の存在は注目に値するものである。日本神話の天照大神も太陽神・女神であるが、対をなす月神の月読命は性別が明らかでない(一般には男神)。
太陽崇拝は、単一神教から始まり唯一神教に終わるとされる。古代エジプト第18王朝のアメンホテプ4世(アクエンアテン)は、伝統的な太陽神アメンを中心とした多神崇拝を廃止し古の太陽神アテンの一神崇拝を行った。太陽神の乗り物としては、古代エジプトにおいては空を海に見立てた「太陽の舟」(ラーやホルス)や、インド・ヨーロッパ語族圏では空を大地に見立てた「日輪の戦車」(ローマ神話のソル、『リグ・ヴェーダ』のスーリヤ、ギリシア神話のヘーリオス)がある。メソポタミア神話のシャマシュは、青銅器時代の間、重要な役割を果たす。南アメリカにはインカ神話のインティを代表とする強い太陽崇拝があった。

重要な事は陰陽二元論が、この世のものを、善一元化のために善と悪に分ける善悪二元論とは異なると言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。戦国時代末期に五行思想と一体で扱われるようになり、陰陽五行説となった。

北辰と「日」は対極をなす関係
北辰信仰は、紀元前二千数百年前の堯・舜の時代に記録されている という。 北極星の信仰が古代中国に伝わり、道教などの星信仰と習合していきます。
「北斗信仰」~天皇は道教の神~ https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11901491042.html
北斗信仰の源流は
紀元前数千年前、元々は現在のイラクやイランに栄えた古代アッシリアやバビロニアの砂漠の遊牧民が方角 を確認するために北極星を神として信仰し、遊牧民を経て、中国に伝わりました。
中国においても、北辰信仰は、紀元前二千数百年前の堯・舜の時代に記録されている という。
北極星の信仰が古代中国に伝わり、道教などの星信仰と習合していきます。
北極星は、道教においては、天帝太一神の居所であり、北辰を北極大帝、北極紫微大帝、玄武大帝もしくは 北極玄天上帝などと称し、最高神である玉皇大帝の命をうけて星や自然界をつかさどり、天界、人界、冥界 の三界を総宰する神格とされるようになりました。

【北斗七星】より
…特に,人間の命運は生年の干支で決まる北斗の中の本命星の支配下にあり,北斗神が降臨して行為の善悪を司察し寿命台帳に記入する庚申・甲子の日に醮祭(しようさい)(星まつり)することで,長寿を得,災阨(さいやく)を免かれると考えられた。北斗信仰は早く日本にも流入し,平安時代以来,宮中での四方拝に天皇みずからが本命星を拝しその神名を称えた。また,北斗信仰は密教でも重視され,北極,北斗の本地とされる妙見菩薩をまつる妙見堂が各地に建てられている。

【北極星】より
…《史記》天官書などの記述によると,北極星は天帝太一神の居所であり,この星を中心とする星座は天上世界の宮廷に当てられて紫宮,紫微宮とよばれ,漢代には都の南東郊の太一祠においてしばしば太一神の祭祀が行われた。その後,讖緯(しんい)思想(讖緯説)の盛行につれて,後漢ころには北辰北斗信仰が星辰信仰の中核をなすようになり,北辰は耀魄宝(ようはくほう)と呼ばれ群霊を統御する最高神とされた。これをうけた道教では,北辰の神号を北極大帝,北極紫微大帝もしくは北極玄天上帝などと称し,最高神である玉皇大帝の命をうけて星や自然界をつかさどる神として尊崇した。
【天皇大帝】
天皇大帝(てんおうだいてい・てんのうだいてい)は神格化された北辰(天の北極)のこと。後述するように、日本における天皇という称号の起源の有力な候補の一つと考えられている。北斗七星と混同されることもある。
(世界大百科事典)
 古代、東夷族の領主にして中国五帝の1人に数えられている少昊は、母系の伝承により、天空のある一点を中心として星々が巡っているように見えることを知っており、そこを北辰と呼び(天の北極に該当する)、宇宙の中心と考えていた。その象形は、北辰を中心点としてその周囲を24時間かけて回る星々を一輪の円で描き、一日というサイクルを表して「日」の原型と成った。 そして、母系社会において智慧や秩序の基盤となった「日」は、道教において神格化されるが、父系社会への転換により、陽を象徴する文字として使われるようになると、北辰と「日」は対極をなす関係になった。
そしてそれは、日本で使われる称号の天皇にも取り入れられたとする説がある。
中国の唐の高宗は 「天皇」 と称し、死後は皇后の則天武后によって 「天皇大帝」 の諡(おくりな)が付けられた。これは日本の天武天皇による 「天皇」 の号の使用開始とほぼ同時期であるが、どちらが先であるかは研究者間でも結論が出ていない。

道教では 「北極紫微大帝(北極大帝・紫微大帝)」 とも成り、また北斗七星が神格化された 「北斗真君(北斗星君)」 と習合した。「北極紫微大帝」 と 「北斗真君」 とは本来は別の神であったが、現在でも分ける場合と同一視する場合とがある。 中国の皇帝や日本の天皇家の北斗信仰にもこの同一視が見られる。中国の皇帝の祭服の左袖には北斗七星、右袖には織女がデザインされている。宮内庁所蔵の孝明天皇の礼服 は背中の中央上部にも北斗七星が置かれている。

天武天皇は、壬申の乱に 勝利すると直ちに、官僚機構としての陰陽寮を設置し、陰陽道を国家管理のもとにおいた 。
陰陽道とは何かhttp://www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/onmyohdoh.htm
陰陽道とは何か。その起源は紀元前二千年の古代中国にまでさかのぼる。日々刻々と移り変わる自然の脅威にさらされていた人々にとって、その変化を予測することは、生命維持に直結する最大の関心事であった。やがて人々は天地運行の中に神を認め、神と一体化することによりその答えを得ようとする。シャーマニズムの誕生である。シャーマンは「蜥易(せきえき)」すなわちトカゲ、ヤモリ等の爬虫類を駆使し、雨乞い等の宗教儀礼を行い、占術によって神意を探った。しかし、これらは余りにも断片的であり、非論理的であった。
このため人々はよりすぐれた方法を得ようとする。万物の根源を突き詰め、万物を原理的、構造的に把握し、それを理論的に体系づければ、次に起こりうる出来事を推測することができると考えたのだ。
つまり陰陽道とは宇宙を貫く普遍の原理により、世界の意味と動きを解読する思想と技術の全体を指すものである。

本来、密教占星術で扱う二十八宿はインドのそれであって、陰陽道の二十八宿の典拠となっている中国の二十八宿とは別物であった。しかし、日本ではこれが混同され、陰陽道と密教占星術は早くから習合し、日本的占星術ともいうべきものを作り出していった。密教には陰陽道系の星神が仏教外護の天部の神々として取り込まれ、また陰陽道には密教系の天部が星神として取り込まれた。

地域の神々を祭祀しているからですが、此処ではもともと出雲の神を祀っていた、ここは 出雲と深い関係があったから畿内につながりの深い神は祀られていないと云うことです。 大化改新の頃の七世紀半ばの武蔵国の神は大国主でした。
大巳貴こそ天地創造の神http://blog.goo.ne.jp/codaisinonazo/e/40e89c3dcd4341b45e90a57b63115f53
不思議なことに、ここには伊弉冉・伊弉諾尊も、天照大神も、八幡大神も神功皇后もおられません。地域の神々を祭祀しているからですが、此処ではもともと出雲の神を祀っていた、ここは出雲と深い関係があったから畿内につながりの深い神は祀られていないと云うことです。大化改新の頃の七世紀半ばの武蔵国の神は大国主でした。政治的には朝廷の支配を受けても、祭祀は僅かながら古代の形が残っているようです。
万葉集の時代、国土創生の神はオオナムチノ神でした。万葉集では、大汝、大穴道、於保奈牟知と書かれ、古事記では大穴牟遅、書紀では大巳貴と書かれ、大國主命、八千矛神などの別名もあります。

万葉集の時代は、九州でも和歌山でも天地創生の神は、大巳貴命(大国主)だったのでした。
と云うことは、どういうことでしょう。
案外、大国主は我が国の隅々まで統治していたのかも知れません。それが、六・七世紀に統治者が変わる政治的社会的変化が起こったと、そう考えてもいいかも知れませんね。日本書紀やや古事記と若干のずれがありますが。

古代の神と祭祀は、朝廷の意向や、武士の台頭による祭祀の変更や祭神の入れ替え、さらに明治維新による合祀や祭神交代等により、もう今ではもともとの姿が分からなくなっていると思います。
しかし、府中市の大國魂神社は、はるかなる古代を少しだけ見せているかも知れません。

壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、(ユリウス暦672年7 月24日 - 8月21日)に起こった古代日本最大の内乱である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

なぜ壬申の乱は起こったのかhttp://manareki.com/zinshinnoran
天智天皇は、当初、大海人皇子を次期天皇にしようと考えていましたが、晩期になると大友皇子を次期天皇にしようと考えを改めたようです。大海人皇子と天智天皇は、何かが原因で仲違いすることになりますが、その理由はよくわかっていません。

壬申の乱の後、天武天皇が政権を握るが、天武天皇の時代は、仏教は大幅な後退時期 であった。
神道と仏教並存の真相【天皇の仏教から神教鞍替えが今に繋がる】http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/827.html
日本では、昔から、神仏混合の風習があり、神道と仏教の共存があたりまえのように考えられてきた。しかし、最近の研究によるとこの神仏並存は、意図した方向でなく、藤原氏の苦肉の策との見方がある。今回は、この真相を推理する。
 6世紀になると、欽明天皇の時代に百済から仏像と経典が贈られるが、この仏像は、当時の百済の第一級の仏像である。現在の日本で例えるならば、広隆寺の弥勒菩薩像を他国に差し上げたようなものである。
 いかに百済が日本の軍事力をあてにしていたかがわかる。そして、これが、日本で初めての仏教の伝来と言われている。ただし、これは、正式な仏教伝来という意味であって、非公式には(個人的には)もっと早くから仏教は来ていたようである。
 奈良の飛鳥で蘇我氏が巨大化し、物部氏との宗教戦争に勝利してからは、事実上の蘇我王朝を展開していた。蘇我氏は、仏教を国教として、日本を治めようと考え、この間に元興寺(通称、飛鳥寺)が建設された。
 それまで、日本では天皇が住む宮だけが大型建築物であったが、蘇我氏の建設した寺院は、誰もが自由に出入りできる日本ではじめての公共的な大型の建造物であった。また、この時期、天皇家も仏教を受け入れて、聖徳太子を中心に四天王寺が建設され、飛鳥の元興寺と肩を並べていた。

藤原不比等は、新たな国の宗教として、道教、儒教を基礎に日本固有の宗教・神道を作ったのである。藤原不比等の父は中臣鎌足で、中臣氏の古くは、常陸鹿島の出身と言われている。

、歴史学者が言うように西暦800年ごろから祟りの信仰が起こったのではなく、遥か縄文時代から日本には祟りの信仰があったと考えてもおかしくないと言うことである。

結論は、仏教による怨霊鎮魂であった。おそらく、当時の僧呂(坊主)は、時節到来とばかり、「これは、仏罰である、仏教による加持祈祷以外、怨霊を治める方法はない。」と繰り返し主張し、夜も寝ずに加持祈祷をおこなったものと思われる。この祈祷のお陰かどうかは判らないが、一応、天然痘は沈静化し、光明子の命も無事であった。
 当時天皇は聖武天皇で、生来の病弱児であった。そこで、政治は、藤原氏の力を背景に光明子皇后が握っていたのである。(多少の変遷はあるが、ここでは省略する)この事件を機会に、天皇家と日本は大きく神道国家から再び仏教国家へと動き出した。
 その手始めが、国家安泰を祈願するため大仏の建立である。次いで、国分寺、国分尼寺の建設と仏教国家への建設が進められた。と同時に、法隆寺の再建も進められたのである。
 法隆寺は、聖徳太子により妃の実家・橘氏の協力のもと斑鳩に建設された寺である。ところが、天智9年、この法隆寺は焼失してしまった。日本書紀にも「天智九年、法隆寺焼失す。」と短い文章で書かれている。
 歴史学界では、戦後まもなく、これが大きな論議となった。法隆寺再建派と非再建派に分かれ、今の法隆寺が、聖徳太子が作ったものかどうかという議論である。再建派は、聖徳太子が作った法隆寺は、焼失し今の法隆寺は後日再建されたものであると主張した。
 このときは、だれが再建したかは判らなかった。非再建派は、焼失したのは、法隆寺の一部で、今の法隆寺は、大半は、聖徳太子が建設したものであると主張したのである。

法隆寺を再建した人は、光明子をはじめとする藤原一族である。(梅原猛「隠された十字架」より)これは、聖徳太子やその子・山背皇子の祟りを封じ込める(祟りを癒す)ための、藤原一族の贖罪行為であった。
 同様な例としては、出雲大社、平泉中尊寺などが、それぞれ祟りを恐れた人たちの贖罪行為により建設・保存されてきた。

中臣氏と藤原氏. 日本に仏教が伝来した頃、日本には伝統的な神祇(じんぎ)信仰があっ た。 豪族の中で、仏教の受け入れを積極的に表明したのは蘇我氏だった。 これに対し て物部氏と中臣氏は反対側だった。
本来は排仏派だった中臣氏であったが、中臣鎌足が中大兄皇子を助けて蘇我氏を倒してから、蘇我氏の代わりに仏教の保護者になっていった。

もともと中臣鎌足は神祇をきらい、息子定恵(じょうえ)を僧侶にして百済に留学させたくらいである。
しかし、定恵はその才能をねたまれ帰国後毒殺されたという。
この頃、中臣氏の一族は積極的に寺を造営している。
天智天皇は危篤の中臣鎌足を訪れて、長年の功績により鎌足一代に与えられた「藤原」の姓を子孫代々使うことを許す。
その後の記録を見ると、驚いたことに、中臣姓を用いるときは神祇の仕事に関わっていて、藤原姓を名乗っているときは一般行政の仕事にたずさわっていた。
つまり二つの姓を使い分けていたのだ。
やがて、不比等が中心となり大宝律令が制定されたが(701年)、それに基づき国家組織として太政官と神祇官を二大頂点とする官僚体制が構築された。
そして、太政官の中心に居座ったのが藤原氏であり、神祇官を占めたのが仲間の中臣氏であった。不比等は一族を太政官と神祇官に振り分けたのであった。
これから神仏習合の道がはじまったと言えそうである。

右手を挙げている ブッダの画像https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p434167867
右手を挙げている 弥勒菩薩の画像https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%8F%B3%E6%89%8B%E3%82%92%E6%8C%99%E3%81%92%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B++%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9
右手を挙げている バール神https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Baal_Ugarit_Louvre_AO17330.jpg

ミトラ(ペルシャ帝国の守り神ミスラ)は、インドに伝わり、アスラ=阿修羅(アシュラ)です。
ミトラは、救世主(マイトレーヤ)の性格を持っており、インド・中国を経て、ミロク=弥勒菩薩です。
ミトラは、ヘレニズムに伝わり、太陽神アポロンと習合してます。
ミトラ(バール神)は、牛の頭を持つ神であった為、インド人は、牛を神聖なものとして食べなくなりました
この牛の頭を持つ神の概念は、ヒンズー仏教を経て、仏教の護摩法神である牛頭天王になってます。
平安時代には、本地垂迹説が唱えられ、牛頭天王=スサノオミコトとされました。
奇妙なことに、日本書紀には、一書によればと断りながら、高天原を追われたスサノオミコトが最初に降りたのは、新羅の曽尸茂梨(ソシモリ)であるとしてます。
ソシモリ山は、高麗の時代に実在していて、古来から牛頭山と呼ばれています
キリスト教は、ミトラ多神教を邪教呼ばわりして、バール神の牛の頭を山羊に書き換え、 悪魔バアル(バール)に仕立て上げました。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12133955162?__ysp=5omL44KS5oyZ44GS44Gm44GE44KLICAg44OQ44O844OrICDjg5%2Fjg4jjg6k%3D
聖書の悪魔バアルは、最古の高度文明シュメールの主神バールです。
シュメールの主神は当初、牛の角を持つ少年エン・リルでした。
時代によって呼び名が変わり、エンリル ⇒ ミトラ ⇒ バール です。
バール神に至っては、牛の頭を持つ神としてます
実は、バール神とスサノオミコトは、瓜二つなのですね
シュメールのバール神は、ヒッタイトの7頭の悪竜を、酒に酔わせて退治して、ヒッタイトの鉄を手に入れてます。
スサノオミコトは、8頭の蛇(八岐大蛇)を、酒に酔わせて退治して、尻尾から鉄の剣を手に入れてます
この剣が、三種の神器の草薙の剣です。
バール神は、太陽神アンの息子で、16弁菊花紋と六芒星がシンボルである、風神=武神です。
スサノオミコトは、太陽神:天照大御神の弟で、16弁菊花紋がシンボルであり、武神です。
バール神は、牛の頭を持つ神です。

実は、キリストの神格は、ミトラ(バール)神からパクられたもので、太陽(光)の性格、救世主の性格などを取り込まれてます。
古代イスラエルの王ダビデは、戦いの時、勝利を天のバール神に祈った言葉が、実は「アーメン]です
これもキリスト教にパクられてます

弥勒菩薩の信仰の元は、古代のイラン地域が発祥です。
大乗仏教の弥勒・・・666http://osyakasama.net/archives/239.html
武闘神や太陽神として、来世の幸福を願う下層階級から信仰を集めたと言われています。

ダキニ天とお稲荷さん、大日如来と天照大御神、大黒天と大国主之命ほか、色々と ごっちゃになってますが違います。 突き詰めれば仏教は信仰主体ですら無いんですが、 他の宗教と習合しながら伝わってるのでそのような流れになりました。
大日如来と天照大神https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12151415487?__ysp=5aSn5pel5aaC5p2lICDjgYLjgb7jgabjgonjgZk%3D
真言宗の教えでは大日如来はすべての神仏の親仏となります、天照大神も大日如来のお徳の一つとなり、もとをただせば、大日如来に帰することになります。
神仏習合では天照大神と大日如来は同一視されていた。
牛頭天王とスサノオの関係と同じようなもの。

大乗仏教の場合、歴史上の仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ=シャカ)の背後に、 様々な永遠の仏の存在が説かれるようになる。たとえば、阿弥陀仏、 .... それは、当時 民衆の間にあった太陽信仰とも結びついて、広まっていったのでしょう。
仏教の「仏」とキリスト教の「神」http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/bukkyokirisuto01.htm
大乗仏教の大ビルシャナ仏(大日如来)等の「永遠の仏」の思想は、キリスト教やゾロアスター教をはじめとする他宗教との混合、あるいはそれらに対抗するものとして生まれたものであることは確実です。
 それは、当時民衆の間にあった太陽信仰とも結びついて、広まっていったのでしょう。そして後世になって、経典化されたのです。

大乗仏教の大ビルシャナ仏(大日如来)等の「永遠の仏」の思想は、キリスト教やゾロアスター教をはじめとする他宗教との混合、あるいはそれらに対抗するものとして生まれたものであることは確実です。
 それは、当時民衆の間にあった太陽信仰とも結びついて、広まっていったのでしょう。そして後世になって、経典化されたのです。

鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう、サンスクリット語: ????????、Kumārajīva、 クマーラジーヴァ、344年 - 413年、一説に350年 - 409年とも)、亀茲国(きじこく)( 新疆ウイグル自治区クチャ県)の西域僧、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を 漢訳し
仏教普及に貢献した訳経僧である[2]。最初の三蔵法師。のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れた。時にのちの玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。
漢名の鳩摩羅什(くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写である[1]。略称は羅什(らじゅう)または什(じゅう)。
什(じゅう)
409年 逝去。
臨終の直前に「我が所伝(訳した経典)が無謬ならば(間違いが無ければ)焚身ののちに舌焦爛せず」と言ったが、まさに外国の方法に随い火葬したところ、薪滅し姿形なくして、ただ舌だけが焼け残ったといわれる(『高僧伝』巻2)。
舌・・・告?
【口告】http://www.lang.osaka-u.ac.jp/~sugimura/essays/reviews/review-fukui-kanji-kougao.htm
「告」の下部を「凵=落とし穴の変形」であるとする新説を提起している。獲物を落とし穴に追い落とす「穽獲(せいかく)」という狩猟法が存在し、「告」はその図案化であると解釈するのである。そして「告」がもつ報告や祈願や飼養等の意味的広がりについて、両氏はそれらがすべて「穽獲」という狩猟のスクリプトと捕獲の結果から自然に派生拡張し得る概念であることを体系的に論じている。

牛+口ではなく、之+口の会意で行って告げる 意とする説(〔文源〕)や、舌を伸ばした形という説(潘任)もある。
旧字体は?。 1.つげる、訴える、広く知らせる、休暇を乞う、報せるhttp://dic.nicovideo.jp/a/%E5%91%8A
2.(暦を)祖廟に知らせる
3.(鞠と通じて)罪をただす

ミトラ教またはミトラス教またはミスラス教(英語: Mithraism)は、古代ローマで隆盛した 、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教である。 ミトラス教は古代のインド・ イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流 によって地中海世界 ... ミトラ教はローマ帝国時代にキリスト教とライバル関係にある 宗教だったが、キリスト教がローマの国教となることで吸収され、その神もキリストの教え を守護する天使 ...
ミトラ教https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9%E6%95%99
ミトラス教は牡牛を屠るミトラス神を信仰する密儀宗教である。信者は下級層で、一部の例外を除けば主に男性で構成された。信者組織は7つの位階を持つ(大烏、花嫁、兵士、獅子、ペルシア人、太陽の使者、父)。また、入信には試練をともなう入信式があった。
ミトラス教はプルタルコスの「ポンペイウス伝」によって紀元前60年ごろにキリキアの海賊の宗教として存在したことが知られているが[1]、ローマ帝国で確認されるミトラス教遺跡はイランでは全く確認されていないため、2世紀頃までの発展史はほとんど明らかではない。いずれにせよ、ミトラス教は2世紀頃にローマ帝国内に現在知られているのとほぼ同じ姿で現れると、キリスト教の伸長にともなって衰退するまでの約300年間、その宗教形態をほとんど変化させることなく帝国の広範囲で信仰された。
キュモン以降、ミトラス教はインド・イランに起源するミトラス神や、7位階の1つペルシア人をはじめとするイラン的特徴や、初期に下級兵士を中心に信仰されたという軍事的性格から、ミトラス教は古代イランのミスラ信仰に起源を持つと考えられてきた。しかし両者の間には宗教形態の点で大きな相違点があり、古代イランにおけるミスラはイランを守護する民族の神であり、公的、国家的な神だったが、ローマ帝国におけるミトラス教は下級層を中心とした神秘的、秘儀的な密儀宗教の神であり、公的であるどころか信者以外には信仰の全容が全く秘密にされた宗教であったし、民族的性格を脱した世界的な救済宗教としての素質を備えていた。こうした宗教としての根本的なちがいは研究者にとって悩みの種であり、現在ではキュモンのようにイランのミスラ信仰から直接的に発展したと捉えることは困難とされている。しかしミトラス教のイラン起源を全く否定することもできず、ミトラス教の黎明期に教祖ないし宗教改革者が存在したことを想定する研究者もいる[2]。イランの民族神ミスラとは違い、ゾロアスター教で信仰されるミスラは世界の監視、死後の裁判の役割を担うルシファーのような存在であった。
他方、エルネスト・ルナンの有名な1節によって[3]、ミトラス教がキリスト教の有力なライバルであり、ローマ帝国の国教の地位を争ったほどの大宗教だったとする過度な評価は現在も根強い。さらにキリスト教との類似からキリスト教の諸特徴がミトラス教に由来するという説が論じられることも多い。他宗教との比較という点では、日本では以前から大乗仏教の弥勒信仰がインド・イランのミスラ信仰に由来することが論じられてきたが、宗教形態の違いから、むしろ近年ではミトラス教と比較されることがある[4]。
 

天国を開く門」  天皇大帝  北辰(天の北極)

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月16日(土)13時16分28秒
返信・引用
  「天皇大帝(てんおうだいてい、てんのうたいてい、てんのうだいてい)は神格化された北辰 (天の北極)のこと。後述するように、日本における天皇という称号の起源の有力な候補 の一つと考えられている。北斗七星と混同されることもある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%A4%A7%E5%B8%9D
古代中国では地上からは天空のある一点を中心として星々が巡っているように見えることを知っており、そこを北辰と呼び(天の北極に該当する)、宇宙の中心と考えられていた。そして神格化され、道教や日本で使われる称号の天皇にも取り入れられたとする説がある。
中国の唐の高宗は 「天皇」 と称し、死後は皇后の則天武后によって 「天皇大帝」 の諡(おくりな)が付けられた。これは日本の天武天皇による 「天皇」 の号の使用開始とほぼ同時期であるが、どちらが先であるかは研究者間でも結論が出ていない。
道教では 「北極紫微大帝(北極大帝・紫微大帝)」 とも成り、また北斗七星が神格化された 「北斗真君(北斗星君)」 と習合した。「北極紫微大帝」 と 「北斗真君」 とは本来は別の神であったが、現在でも分ける場合と同一視する場合とがある。
中国の皇帝や日本の皇室の北斗信仰にもこの同一視が見られる。中国の皇帝の祭服の左袖には北斗七星、右袖には織女[4]がデザインされている。宮内庁所蔵の孝明天皇の礼服 [5]は背中の中央上部にも北斗七星が置かれている。ただし、織女はない。

現在の北極星(こぐま座α星)は柄杓の柄(小熊の尻尾)の先端にあるが、紀元前1100年ごろにはこぐま座β星の北極距離が約6.5度[6]と、天の北極に最も近い北極星であり、帝と呼ばれていた。
そして、信仰の対象とは別に天皇大帝という名の星座も存在した。『開元占経』 の「巻69 甘氏中官占」 に見える[7]。『晋書』 「天文志」 には 「口中一星を天皇大帝と曰(い)ふ」 という記述がある。この 「口中」 は、天帝の後宮で天帝の住まう紫微宮(しびきゅう)を護衛する[8]勾陳(こうちん)という星座で、その第二星(こぐま座δ星、4等)・第一星(同α星・ポラリス、2等)・第五星(ケフェウス座 HD5848、4等)・第六星(同 HD217382、5等)で描かれる四辺形のことを指しており、天皇大帝はその中にある5等星(同 HD212710)である[9]。『和漢三才図絵』 でも天皇大帝は 「口」 の中に当たる位置に記されているが、この図はかなり不正確なので注意が必要である。なお、オランダの東洋学者シュレーゲルは、こぐま座α星を天皇大帝と同定している[10]。ただし、大崎によれば、シュレーゲルによる同定は 「第一級の資料とは認められない」 とのことである[11]。

北斗七星(おおぐま座)は水を汲む 「斗」 の形をしており、大地を潤す農耕の神のシンボルでもあった。『史記』 『星経』 には北斗は北辰を中心に一晩で一回転し、一年で斗柄は十二方位を指し、止まることのない永久時計として陰陽(太陽と月のこと)、そして夏・冬を分け、農耕の作業時期を示し、国家安寧を保証するとある [12]。
天皇大帝はその聖性の象徴として神器(道教の用語)を持っている。神器は 「鏡」 と 「剣」 であり、呪具(magic tool)と威儀具とを兼ねている。
儒教では、中間色である 「紫」 を正色(原色)である 「赤」 よりも格下に見る [13]が、天皇大帝は 「紫宮」 あるいは 「紫微宮」、「紫宸殿」(ししんでん)、「大極殿」(だいごくでん)などと呼ばれる宮殿に住んでいることになっており、また北極星の光芒は紫色とされ、紫色を最高の神聖な色としている[14]。 [15]

北辰は天帝のまします紫微宮とされ「天国を開く門」とも言 われています。http://terakoyajuku.jp/s10/072.html
天帝とは宇宙創造神すなわち天御中主大神であり、私たちは大天主太神(おほもとすめおほみかみ)と唱え崇めています。
「光り輝く」

「主シュ」 <燭台に灯る火>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/9bc2b8999c9b55e71dadeadff2fbfd4b
解字 燭台に灯っている火を描いた象形。火は神聖なものと考えられ、燭台に火をともすのは家長の役目であった。そのため、主は「あるじ」の意味を表わす[字統]。
意味 (1)あるじ・ぬし(主)。「主人シュジン」「家主いえあるじ・やぬし」「坊主ボウズ」「法主ホッス・ホウシュ」 (2)おもな。中心になる。「主題シュダイ」「主力シュリョク」 (3)つかさどる。「主宰シュサイ」「主管シュカン」 (4)動作をなすもの。「主語シュゴ」「主体シュタイ」
イメージ  「燭台に灯る火」 (主・炷)
        燭台はその場で動かないので 「じっとうごかない」 (住・柱・注・註・駐)
音の変化  シュ:主・炷  ジュウ:住  チュウ:柱・注・註・駐
柱 チュウ・はしら  木部
解字 「木(き)+主(じっと動かない)」 の会意形声。家のなかでじっと動かず屋根を支えている木の柱。
意味 (1)はしら(柱)。柱のように物の支えになるもの。「大黒柱だいこくばしら」「円柱エンチュウ」「電柱デンチュウ」 (2)柱のようにまっすぐな。「火柱ひばしら」「氷柱ヒョウチュウ」

註 チュウ  言部
解字 「言(ことば)+主(=注。注意をむける)」の会意形声。言葉に注意をむけて、その意味をときあかす。現在は「注」が書きかえ字になっている。
意味 (1)とく。とき明かす。字句の意味を明らかにする。「註釈チュウシャク」(註も釈もときあかす意。語句の意味をときあかすこと。=注釈) (2)ときあかし。解釈。「脚註キャクチュウ」(本文の下に書いた解釈=脚注) (3)しるす。書きしるす。

「主」 解字:象形。燭台にともし 火が燃えて ... 巫女は豊穣 神?
>「大刀」と「契」・・・祭司の王国、聖なる国民http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1832

6星座(天稷、天廟、東甌、軍門、土司空、器府) http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kazu/chinaseiza/gisholist.html

巨大な蛇またはドラゴン(あるいはドラゴンに似た獣)にまたがった天使の姿
マイトレーヤ信仰または弥勒信仰が中国に伝わり、独特な 宗教を構成したとする考えも、かなりの歴史的妥当性を持って確認できる。http://blog.goo.ne.jp/jd6j5rlure09f3/e/658bddd63d3dfc1ae57b3b241776a1c8
元になった女神アシュタロトはカナン神話のアナトなどでは美しくも勇猛、残忍な争いの女神としての側面を持っているため、初期のアスタロトもこうした神格を反映した悪魔だったのだろうと思われる。なお、女神としてのアシュタロトはイシュタルからアフロディテへとその性格を伝播している。

アスタルト (‘?trt [‘a?tart])は、地中海世界各地で広く崇められたセム系の豊穣多産の女神。崇拝地はビュブロス(Byblos、現在のレバノン)などが知られる。 メソポタミア神話のイナンナ、イシュタル、ギリシア神話のアプロディテなどと起源を同じくする女神と考えられ、また周辺地域のさまざまな女神と習合している。

<東方起源の性格>
古くは東方の豊穣・多産の女神アスタルテー、イシュタルなどと起源を同じくする外来の女神で、『神統記』に記されているとおり、キュプロスを聖地とし、「キュプリス」という別名を持つ。オリエント的な地母神としての性格は、繁殖と豊穣を司る神として、庭園や公園に祀られる点にその名残を留めている。そして愛の女神としての性格を強め、自ら恋愛をする傍ら人々の情欲を掻き立てて、恋愛をさせることに精を出している。同じく愛の神エロースと共にいる事もしばしばである。また、これとは別に航海の安全を司る神として崇拝されたが、これはフェニキアとの関連を示唆すものと考えられる。
 スパルタやコリントスでは、アテナのように、甲冑を着けた軍神として祀られていた。特にコリントスはギリシア本土の信仰中心地とされ、アプロディーテー神殿[1]には、女神の庇護下の神殿娼婦[2]が存在した。この所作もまた東洋起原のものとされる。
 古くから崇拝されていた神ではないために伝えられる説話は様々である。ヘパイストスの妻とされるが、アレースと情を交わしてエロスなどを生んだという伝承もある。アプロディーテとエロスを結び付ける試みは、紀元前5世紀の古典期以降に盛んとなった。

<金星の女神>
本来、豊穣多産の植物神としてイシュタルやアスタルテー同様に金星の女神であったが、このことはホメロスやヘーシオドスでは明言されていない。しかし古典期以降、再び金星と結び付けられ、ギリシアでは金星を「アプロディーテの星」と呼ぶようになった。現代のヨーロッパ諸言語で、ラテン語の「ウェヌス」に相当する語で金星を呼ぶのはこれに由来する。
 グレゴリオ聖歌でも歌われる中世の聖歌『アヴェ・マリス・ステラ』の「マリス・ステラ(Maris stella)」は、「海の星」の意味であるが、この星は金星であるとする説がある。聖母マリアがオリエントの豊穣の女神、すなわちイシュタルやアスタルテーの系譜にあり、ギリシアのアプロディーテや、ローマ神話のウェヌスの後継であることを示しているとされる。

<アーリア人の神ミスラ>
元々、ミトラス神は、アーリア人の古い神話に登場する光明の神であり、イランの『アヴェスター』においても、インドの『リグ・ヴェーダ』においても登場する有力な神であった。ゾロアスター教でも、ミトラは中世ペルシア語でミフルヤズドと呼ばれ、重要な役割を持ち、多数の神々のなかでも特殊な位置付けであった。
<仏教の弥勒信仰>
仏教には、弥勒菩薩が存在し、「弥勒信仰」がある。この弥勒は、サンスクリット語ではマイトレーヤというが、マイトレーヤとは、ミスラの別名である。またはミスラから転用された神名であり、仏教では菩薩として受け入れられ、マイトレーヤを軸とした独特の終末論的な「弥勒信仰」というものがある。
<マイトレーヤ信仰とミトラ教>
仏教の弥勒信仰以外にも、イランやインドではミトラ信仰があり、マイトレーヤ信仰があったことは分かっている。マイトレーヤ信仰または弥勒信仰が中国に伝わり、独特な宗教を構成したとする考えも、かなりの歴史的妥当性を持って確認できる。

>バアルも「主」を意味する。http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/887
木星神であり嵐の神でもある「バアル」のルーツは、シュメール神話の主神「 マルドゥク」である。 マルドゥクが竜神「 ... すると、ノアの大洪水を起こしたのは ルシファー(金星)であり、紅海割れを起こしたのもルシファー(惑星ヤハウェの裏の顔) という事で、一応辻褄が合う。 ここでは、主( .... しかも、「3大アフラ」(主神アフラ・ マズダー、火の神ミスラ、水の神ヴァルナ)の三位一体で構成されているところが注目に 値する。 絶対神の ...

ヒッタイト人は「嵐の神」も信仰していた。https://blogs.yahoo.co.jp/yhwh_lucifer/445376.html?__ysp=44Oe44Or44OJ44Kl44Kv44GM56uc56We44CMIC4uLiDjgZnjgovjgajjgIHjg47jgqI%3D
バアルも「火」を象徴するが故に、ゾロアスター教の主神「アフラ・マズダー」は、バアルと同一神である。
バアルの意味は「主」!

「主」バール・・・栄光ある者   角の頭飾りを被ったアスタルト
目に見える天体は「神の栄光を告げ知らせ」ます。(詩 19:1)シナイ山上で,「エホバの栄光」は「むさぼり食う火」のような,恐れを抱かせる顕現によって示されました。―出 24:16‐18。出 16:7,10; 40:34と比較。
イエスの最初の奇跡について,聖書は,「イエスは……ご自分の栄光を明らかにされた」と述べています。(ヨハ 2:11)ここでの栄光は,約束されたメシアとしてイエスを見分けさせる奇跡的な力に関する印象的な証拠を指しています。(ヨハ 11:40‐44と比較。)別の時,イエスはこう祈りました。「父よ,世がある前にわたしがみそばで持っていた栄光で,わたしを今ご自身の傍らにあって栄光ある者としてください」。(ヨハ 17:5)イエスはここで,地に来る前に天で享受しておられた位の高い立場を指してこの語を用いました。その祈りに答えて,エホバはイエスをよみがえらせて天に戻すことにより「ご自分の僕イエスに栄光をお与えになりました」。(使徒 3:13‐15)イエスの変ぼうの際,そこに居合わせた使徒たちに「彼の栄光……が見え」ました。(ルカ 9:29‐32)これは,イエスが王国の権限のうちに「臨在」する際に受けることになっていた王としての「荘厳さ」と関係しています。―ペテ二 1:16。
神の僕たちは『すべての事を神の栄光のためにする』よう訓戒されています。(コリ一 10:31)神の栄光は神にささげられる誉れと賛美を通して明らかにされます。人の行状は,『神に栄光を帰する』よう他の人々を動かす場合があります。(マタ 5:16; ペテ一 2:12)エホバの導きに心からこたえ応じるクリスチャンは,「栄光から栄光へと……変えられ」,神の栄光を反映する点で絶えず進歩してゆきます。(コリ二 3:18)他方,1世紀のある人々がしたように,人からの栄光を求めることのないよう注意しなければなりません。(ヨハ 12:42,43)人からの栄光を求めたり受けたりしないという点で,イエスもパウロも優れた模範を残しました。―ヨハ 5:41; 8:50; テサ一 2:5,6。
栄光https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200001721

モレク 像の画像

うさぎ は 豊饒 の シンボル で,「 古代 ヨーロッパ および 中東 の 異教 の 春 の 祭り に おける 儀式 や 象徴 に 由来 」し ます ...
イースター(復活 祭)https://www.jw.org/ja/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88/%E8%B3%AA%E5%95%8F/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC/
卵: 「ファンク ・ アンド ・ ワグナルズ 民間 伝承 ・ 神話 ・ 伝説 標準 辞典」(英語)に よれ ば,イースター の うさぎ が 運ん で くる と される イースター ・ エッグ を 探す こと は,「ただ の 子供 の 遊戯 で は なく,多産 の 儀式 の 名残」です。ある 文化 で は,装飾 さ れ た イースター ・ エッグ が「幸福,繁栄,健康,保護 を もたらす 不思議 な 力 を 持つ」と 信じ られ て い まし た。―「伝統 的 な 祝祭」(英語)。
日 の 出 礼拝: これ は,「春分 の とき に,太陽 と 成長 する 万物 に 新しい 命 を 与える その 偉大 な 力 と を 迎える ため に 執り行なわ れ た」古代 の 太陽 崇拝 者 たち に よる 儀式 と 結びつけ られ て い ます。―「祝典 ― アメリカ 人 の 祝日 全集」(英語)。

デーメーテール(古希: ΔΗΜΗΤΗΡ, Δημήτηρ, Dēmētēr)は、ギリシア神話に登場する 女神である。長母音を省略してデメテルとも表記される。

スカンディナビアの春の女神,  イーステルhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13127738758?__ysp=44Kk44O844K544OG44OrICDjg5jjg5bjg6voqp4%3D
フェニキアの豊饒多産の女神アスタルテ(バビロニアのイシュタルに当たる)と結びつける人もいます。

アスタルト (‘?trt [‘a?tart])は、地中海世界各地で広く崇められたセム系の豊穣多産の女神。崇拝地はビュブロス(Byblos、現在のレバノン)などが知られる。 メソポタミア神話のイナンナ、イシュタル、ギリシア神話のアプロディーテーなどと起源を同じくする女神と考えられ、また周辺地域のさまざまな女神と習合している。
アスタルトhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%88
ウガリット神話ではバアルの御名 (šm b‘l [šumu ba‘ala]) とも呼ばれ、同じくバアルの陪神である女神アナトと共に、バアルと密接不可分な陪神とされる。しかし、神話では重要なヒロインであるアナトに対し、アスタルトはほとんど活躍しない。アナトが麗しいと賛美される一方、アスタルトは愛らしいと賛美される。バアルの敵である、水を司る海神ヤム=ナハルとは豊穣神という性質上親しい関係にあったため、バアルがヤムを倒し、彼を捕らえた際には、ヤムが自分たちの仲間であることから恥じ入るべき行為だと非難した[1]。あるいは、彼が倒して引き裂いたヤムの体を、バラバラにして撒き散らすように進言した[2][注釈 1]。
イナンナ等が持っていた「愛と残酷の女神」の面はむしろアナトに受け継がれている。このため、アスタルトとアナトは同一神の別の呼称に過ぎないとする説を唱える者もいる。事実、アナトとアスタルトが同一視されていた時代もあった。また、最高神イルの妻、或いはバアルの妻とする説もある。

豊穣神としてのアシュトレトは特にこの地域の農民にとって極めて魅力的であり、同じく豊穣神であるバアルと共に極めて熱心に崇拝された。この地域に入植したヘブライ人たちにとってもバアルやアシュトレトは魅力的であり、ヤハウェ信仰の脅威となるほどの崇拝を受けた(『士師記』第2章第13節)。また、旧約聖書『列王記』上第11章第5節には、晩年のソロモン王が妻たちの勧めにより、アシュトレトをはじめとする異教の神々を崇めたことが記され、この頃には為政者側にまで異教の神々への信仰が浸透していた事がわかる。それ以後もイスラエル王国の多くの王たちはその信仰を容認したため、ユダヤ教聖職者から激しく攻撃された。
また、『エレミヤ書』に登場する女神天の女王も、彼女の呼称の一つと考えられている。 この女神は同じくカナンの豊穣の女神であるアナトの別名に過ぎぬとの説もあり、事実としてアナトと同一視されていた時代もあった。
この旧約聖書におけるアシュトレトが、後にヨーロッパのグリモワールにおいて悪魔・アスタロトとされた。

エジプトにおけるアースティルティト
一方エジプト神話に取り入れられた際には軍神としての性格を残している。古代エジプト語ではアースティルティト (‘?tirtit)と呼ばれ、戦車に乗り、盾と槍などで武装し、二枚の羽で飾った上エジプト冠(白くてとがった形の冠)を被った女戦士の姿で表される。
系譜としてはプタハの娘とされ[4]、特にプタハの聖地メンフィスで崇められた。[要出典]また、アナトと共に(バアルと習合した)セトの妻とされる[5]。また軍馬の守護神とされる。これはエジプトにもともと馬に乗ったり馬の牽く戦車を使う習慣がなかった為で、彼女が外国由来の神であることを示す。
その信仰はエジプト第18王朝頃から始まったと考えられている。[要出典]この頃に記された神話『アスタルテ・パピルス(ドイツ語版)』によると、彼女はエジプトの神々に再三貢ぎ物を要求するヤム・ナハルと交渉したという。アースティルティトはこれによってヤムの好意を得るものの、今度はヤムは彼女自身を引き渡すようにプタハに要求する。結局神々は彼女の代わりに更に多くの貢ぎ物を捧げることになったという。つまりこの神話ではバアルではなくヤムが天と地の支配者となっている[4]。
ギリシア・ローマにおけるアスタルテー
また、古代ギリシア、古代ローマでもアスタルテー(?στάρτη, Astártē)と呼ばれて崇拝され、アプロディテやユノと同一視された。
フェニキアにおけるアスタルテ
フェニキアにおいては世界の真の統治者であり、古い世界を破壊しては新しい世界を創造する死と再生の女神だったとされる。また、インドのカーリーとも同一視され、カーリーのような姿のアスタルテの刻像が見つかっている。

アシュタルト(アスタルト)がバアルに言う言葉は、「撒き散らす」と「恥じ入る」のいずれにも翻訳できるという。

神話
 ゼウスの妻ヘラ(Hera),知恵と戦争の女神アテナ(Athena)と最も美しい女神の座を競った。その際,審判だったトロイア(トルコ北西部)の王子バリスに美女の誉れ高きスパルタ(ギリシア)王妃ヘレネと結婚させると約束をし美の闘いに勝利を得た。これが,後に美女ヘレネを巡るトロイアとミュケナイ(ギリシャ)の戦争,すなわちトロイア戦争の一因となる。
 トロイア王家とは縁があり,王家の一員であるアンキセスとアフロディーテの間に生まれたアエネアスは,ローマ建国の祖となった。
 美少年アドニスを寵愛したという神話も有名で,アフロディテはアドニスをめぐり,冥府の女王ペルセフォネあるいはその母で農業である女神デメテルと争った。結局二人が半年ずつアドニスと過ごすということになるが,アドニスはイノシシに殺されてしまう。このとき,アドニスから流れ出た血がアネモネの花になったと言われている。

星の神話 【うお座】
 ある日,アフロディーテとエロスの母子はユーフラテス川のほとりを散歩していた。ところが,そこへ突然怪物テュフォンが現れ襲いかかってきたため,驚いた母子は魚の姿に変身して川へと逃げた。
 後になって,女神アテナがこの出来事を記念して,リボンで結ばれた母子の姿を星座にしたのだという。

天体神として 【金星】
 アフロディーテのローマ名Venusは,金星の英語名として用いられている。
 ビーナスは,アフロディテの愛と美の女神としての性格の中で,特に性愛の部分が強調された女神であったため,裸身の処女の姿で表現されることが多く,天体の中でも性を支配する金星の神とされた。ビーナスの神殿は男女の愛の交歓の場であった。

起源
 アフロディーテは,古代セム人の豊穣と多産の女神アスタルテ:Astarte(アシュタロト)に起源を持ち,ミュケナイ時代にギリシアへ入ってきた。
 美少年アドニスとの神話はアスタルテの豊穣神としての性格の表れ,また,アレスとの情愛はアスタルテの戦闘神としての性格が表れたものとされる。
 ローマの女神ウェヌス(ビーナス)は,太古の地母神崇拝に起源を持つローマの菜園を守る小女神であったが,アフロディテと同一視されるようになった後,愛の女神の官能的部分が強調されるようになり,多くの裸体像の誕生の源となった。
 アフロディーテはバビロニアのイシュタル:Ishtar,シュメールのイナンナ:Inannaに相当し,イシュタル(イナンナ)も,アフロディテと同じく愛,豊穣,戦闘,金星の神とされ,特定の夫を持たずに一時の夫や愛人と過ごし見捨てていく女神であった。

その他
 英語の4月名“April”は,美しい春の月を「美の女神 Aphroditeに捧げる月」としたことが起源であるとも言われている。


>「恥」を意味するヘブライ語ボシェト

※ウガリット一帯には、既に新石器時代には人間が居住していたとみられる。紀元前6000年頃には重要な場所であり、集落全体を壁で囲い、守りを固めていた。後にメソポタミアと文化的に交流が始まり、紀元前3千年紀後半からは西セム人の都市国家として繁栄、紀元前18世紀にはフルリ人もこれに加わった。
ウガリットは紀元前16世紀頃よりエジプトの影響圏に入り、政治・軍事・文化的にエジプトの影響が浸透し、エジプト人守備隊が駐屯していたこともある。
シリア方面からエジプトにヒクソスが侵入した時期には、ウガリットも落ち、エジプト風の記念碑などは破壊された。
紀元前16世紀から紀元前13世紀にかけてのウガリット全盛期、エジプトやキプロスとは緊密な外交関係があった。
紀元前1350年頃にウガリットの王族(紀元前14世紀中期のウガリットの王アンミスタムル1世、ニクマドゥ2世、およびその妃)がエジプトへ出した書簡がエジプトのアマルナから発見されている(アマルナ文書)。アマルナ文書によると、紀元前14世紀半ば頃に市街は大火によって破壊されたが、再びエジプトの影響下の貿易都市として復興したことがうかがえる。
紀元前13世紀初頭にはエジプト・ヒッタイト間でシリアをめぐる勢力争いがあったが、この際にはヒッタイト側に立った。https://ameblo.jp/damedamewanko/theme198-10024473111.html
ウガリットは青銅器時代の末期、紀元前1200年頃、「海の民」の侵入によって破壊された。
地中海からメソポタミアに至る広い範囲の文明が、この時期に「海の民」によって破壊された。
※ウガリットで発見された粘土板に使用されている言語は、この地で初めて見つかったウガリット語、メソポタミアの古典に用いられたシュメール語、当時のオリエントで外交などに広く用いられたアッカド語のほか、フルリ語、ヒッタイト語、古代エジプト語、楔形文字ルウィ語(英語版)、ミノア語などであった。使用された文字はアッカド語楔形文字が最も多いが、古代エジプト語やヒッタイト語のヒッタイト語楔形文字、エーゲ海域に由来する音節文字なども見られる。

フェニキア文字はその後交易を通じギリシャなどに広がり、ギリシャ人の手でいくつかの文字が母音を表すように変えられ、現在のギリシア文字へ、さらにローマに伝わりラテン文字へと変わっていったが、ウガリット文字の方は現在の文字体系へつながっていない。

『ケレトの伝説』(Epic of King Keret)、文化英雄であるダネルとその息子アクハトについて書かれた『アクハトの伝説』(Epic of Aqhat)、バアル神(バアル-Hadad)とヤム・モート両神との闘争を描いたウガリット神話、その他が知られている。
これらの文書は、イスラエル各氏族のカナンへの入植に先立つ時代のカナン神話に関する詳細な記述を最初に明らかにしたもので、旧約聖書に見られるヘブライ語文学とは神聖なものに対する想像力や詩の形式などにおいて共通するものがある。
ウガリット神話の詩は古代オリエントの知恵文学と共通する部分が多く、後のヘブライ語の詩に見られるような対句法、韻律などを含み、文学作品としての旧約聖書の新しい評価を導き出した。
※バアル【Baal】
バアルは、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」を意味する。バールや、バビロニア式発音のベール、およびベルとも表記される。

本来、カナン人の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書の列王記下などにもその名がある。また、ヒクソスによるエジプト第15王朝・エジプト第16王朝ではエジプト神話にも取り入れられ同じ嵐の神のセトと同一視された。フェニキアやその植民地カルタゴの最高神バアル・ハンモンをモレクと結びつける説もある。さらにギリシアでもバアルの名で崇められた。足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い。

>足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズ

バアル - Wikipediahttps://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E3%83%A2%E3%83%AC%E3%82%AF++++%E5%83%8F#mode%3Ddetail%26index%3D63%26st%3D1899

右手を挙げている ブッダの画像https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p434167867
右手を挙げている ブッダの画像https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8F%B3%E6%89%8B%E3%82%92%E6%8C%99%E3%81%92%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B++%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80&aq=-1&oq=&ai=ycPz68XCSVWKanHQLT8V8A&ts=28074&ei=UTF-8&fr=slv1-snvaio&x=wrt

右手を挙げている 弥勒菩薩の画像https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%8F%B3%E6%89%8B%E3%82%92%E6%8C%99%E3%81%92%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B++%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9

右手を上げてる招き猫https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%8F%B3%E6%89%8B%E3%82%92%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%81%A6%E3%82%8B%E6%8B%9B%E3%81%8D%E7%8C%AB

聖徳太子は、大工さんにとって大切な道具である、 「曲尺」を発明したということになっています。
太子信仰https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11100663526?__ysp=6IGW5b6z5aSq5a2QICDlpKflt6U%3D
『矩(く)』
ホロスコープ上で、天体同士が90度の角度を形成する場合を 『スクエア』もしくは『矩(く)』と呼びます。 ... http://miraimiku.net/blog-entry-200.html

指矩(さしがね、まがりかね、かねじゃく、指金、差金、曲尺とも)は、工具の一種。 ステンレスや鋼、真鍮などの金属製で目盛りがついており、材木などの長さ ... 持ち、左 の女媧氏がコンパスを持っているとされている。 中国の天地創造の伝説の人面蛇身の 神である伏羲は、その手に指矩を持った姿で、コンパスを持つ女媧とともに描かれる事 がある。
指矩https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E7%9F%A9

この指金は、伏義と女カの神話から描かれてもいる、
伏羲が曲尺を持ち、左の女カがコンパスを持っている
眠りから覚める猫:番外編~永六輔さんの死と曲尺太子~http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/cat144/post_392.html
四天王寺と曲尺と聖徳太子の関係

番匠器名号(ばんしょうきみょうごう)と呼ばれるもので、南無阿弥陀仏を、全て、大工道具でこしらえたものですが・・・

これは、現在のデザインによるものではなく、古くから伝わっているものです。
番匠器名号の実物も、宝物館に収蔵されているもののようです。

五行の中で、唯一生命体なのが『木』であはありますが、その生命を奪う意味で、『金』には"死(殺気)"の意味も含まれています。

また、曲尺で描かれる大地を示す方形の辺の数(四)も、「四=死」を暗示します。
※そもそも、四天王寺の「四」も、死が意識された数字ではあります

冥界の王ハデスによるペルセポネの略奪と母デメテルのもとへの帰還http://information-station.xyz/4411.html

ペルセポネ
乙女座は、農業の女神デメテルが冥界の王ハデスに連れさられた娘のペルセポネを 心配する姿が星になったとされています。ペルセポネをめぐってデメテルとハデスが揉め ます。神々が出した結論とはどのようなものでしょう?
ペルセポネhttps://uranailady.com/shinwa/otome.html

[ウサギ座]
 小さいですが、ギリシャのプトレマイオスの48星座の中にちゃんと含まれているものです。しかし、この星座には星座神話があ りませんが、狩人の星座オリオンがウサギのすぐ上にあることから、このウサギがオリオンの獲物として描き出されたと考えられています。
 事実、紀元前3世紀頃 の星座を歌ったアラトスの天文詩の中でも、「オリオンの足下を逃げ回り、大犬シリウスに追われる兎・・・・」とあるそうです。
 もちろんそれとは別に、昔、シチリア島で野兎がはびこり、田畑を荒らした時、これをオリオン座の足元に置いて、追い払うまじないをしたとも言われています。また、ゼウスが荒々しいオリオンを鎮めるために天に上げたという風にも言われているらしいです。
「厠(しょくまたはし)」の星座http://tigaku.com/astronomy/astro_mythology/winter/Lepus.html
 ウサギ座には、この他に中国で伝わっている神話があ ります。ただ、ギリシャ神話風のものと全く違って、地上の宮廷や町並みなどがそっくりそのまま星座となっていて、あまりロマンチックなものではないみたいです。
 重要な宮廷回りの星座は、もちろん天の北極回りに集まっていて、これから遠ざかるにつれ市民の住家などとなり、天の北極から遥か遠いウサギ座にいたっては、とんでもないことに、「厠(しょくまたはし)」の星座 、つまり、厠(かわや)でトイレの星座となっています。
 さらに嫌な事に、「屎(し)」の星座 までくっついてるらしいです。屎とは大小便の入り混じったものらしいです。

>大犬シリウスに追われる兎・・・・

>ウサギ座の小さな四辺形(上の四つの星)は、「オリオンの足台」(アルクルシイ・アル・ジャバル)とか、「巨人の玉座」(アル・アルシ・アル・ジャウザ)とも呼ばれ、オリオン座に関連付けて見られています。
足台
「足ソク」 < あ し >http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/07dcae7b5a7d26a2bfb20cd0c42e3f77
齪 サク・セク  歯部
解字 「齒(は)+足(=促。間をつめる)」 の会意形声。歯ならびが詰まるさま。
意味 齷齪アクセクに使われる字。齷齪とは、本来、歯と歯の間が詰まっている意だが、歯に限らず、詰まる・切迫する意で使われる。もと、アクサクの発音であったが、転音したアクセクが広く使われる。これはセクの発音が、せく(急く)に通じることから。「齷齪アクセク」(休む間もなくせかせかと仕事などをする)「齷齪アクセクと働く」
詰まる・切迫する意

蛾、虫食い 以外に「遊びまわる人」という意味は 本当にあるのでしょうか?

むし・・・蛇
齲 ウ  歯部
解字 「歯の旧字(は)+禹(むし)」の会意形声。虫にかまれた歯。
意味 むしば(齲)。「齲歯ウシ・むしば」(虫歯)「齲痛ウツウ」(虫歯が痛い)http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e2d8b9eb566008d1c5c468195dc48c24
 焉 エン <端正で美しい鳥>
焉 エン・いずくんぞ  灬部
解字 金文は「正(端正な・ととのった)+鳥(とり)」の会意。端正で美しい鳥の意。正の上に一がついているが異体字の正である。篆文は正と鳥が合わさった形となり、現代字は「正+鳥の下部」の焉エンとなった。本来の意味でなく、仮借カシャ(当て字)され、疑問・反語、句末の助字、指示代名詞、また、状態を表す語に用いる。
意味 (1)いずくんぞ(焉んぞ)。なんぞ。(2)これ。ここに。(3)状態を表す形容の語。「終焉シュウエン」(終わりの状態の意。①いまわ。死に臨むこと。②身の落ち着く所。隠居して晩年を送ること)「忽焉コツエン」(たちまち。にわかなさま。=忽然)(5)揚子江と淮河に産する黄色い鳥[説文解字]
イメージ 「仮借」(焉)
     「端正でうつくしい」(嫣)
音の変化 エン:焉・嫣

>止の上に一がついているが異体字の正である。

「歯シ」
止シ・とまる・とめる止部足裏をかたどると甲骨文字の止になる。解字足うら(足あと)の 形の象形。足の指を三本に簡略化した
「止シ」<あしのかたち・あしの動作> と 「歯シ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7ead51fd564f294f42dd13d6532c988c
あしあと・とまる・とめる
址 シ・あと  土部
解字 「土(つち)+止(あしあと)」 の会意形声。土の上に残るあしあと。転じて、地上にのこる建物のあとなどをいう。
解字 あと(址)。残っているあと。「城址ジョウシ」(城あと=城跡ジョウセキ)「基址キシ」(基礎のあと。土台)
祉 シ・さいわい  ネ部
解字 「ネ(=示。神の祭壇)+止(足をとめる)」の会意形声。神が足を止めて福を与えること。
意味 さいわい(祉)。神より受ける幸せ。「祉福シフク」(神から受けた幸せ)「福祉フクシ」(幸福:公共サービスによる生活の安定)

起キ・おきる(走+音符「己キ」)・超チョウ・こえる(走+音符「召ショウ」)・越エツ・こえる(走+音符「戉エツ」http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4465

越エツ・・・

弋射(ヨクシャ) のこととなり獲物をから ... 禹が手に持っているのは、土木 工事に用いる鋤(すき)だが、http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4465
巨 キョ・おおきい 工部 解字 工型の定規に、手で持つ取っ手のついた形の象形。矩クの 原字。金文第二字は定規を持つ人を表す。通常の定規より大きいので、おおきい意を 表わす。篆文は工に取っ手の形。現代字は匚に取っ手に変化。
「巨キョ」 <へだてる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/1de03b47bd26b82e976b1a653f03e6b9
解字 工型の定規に、手で持つ取っ手のついた形の象形。矩クの原字。金文第二字は定規を持つ人を表す。通常の定規より大きいので、おおきい意を表わす。篆文は工に取っ手の形。現代字は匚に取っ手に変化。部首はもと工型なので工。
意味 (1)おおきい。「巨人キョジン」「巨大キョダイ」 (2)多い。はなはだ多い。「巨額キョガク」「巨万キョマン」 (3)すぐれた。「巨匠キョショウ」「巨星キョセイ」

イメージ  巨は定規のかたちなので 「定規」 (巨・矩)
       定規は工型で両端のあいだが離れているから 「へだてる」 (拒・距・炬・渠)
音の変化  キョ:巨・拒・距・炬・渠  ク:矩
矩 ク・さしがね・のり  矢部
解字 「矢(や)+巨(定規)」の会意形声。矢と同じほどの長さの定規。巨の金文第二字は、定規を持った人の形で、その大きさが分かる。
意味 (1)さしがね(矩)。L字形の定規。かねじゃく。「矩尺かねジャク」(①直角に曲がったものさし。②長さの単位で約30.3cm) (2)四角形。「矩形クケイ」 (3)のり(矩)。おきて。きまり。「規矩キク」(規はコンパス、矩はものさし。人の行為の基準)

セキレイ科の鳥[シ水氵[匚]コ巨?木渠鳥?].

「角」に「鳥」です。 この字は国字で、「斑鳩」とも書きます。

「班ハン」 <わける・わかれる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0db8cb38e315efea4a85134b4417c5cc
解字 「王(ぎょく)+刂(刀)+王(ぎょく)」 の会意。玉と玉の間に刂(刀)をいれ、糸でつながっている玉を二つに分ける形。分けたものを配る意もある。
意味 (1)わける(班ける)。わかつ。分配する。「班田ハンデン」(田地を分配する) (2)全体をいくつかに分割したときの一つ一つのグループ。「班長ハンチョウ」「炊事班スイジハン」 (3)わかれる。はなれる。「班馬ハンバ」(はぐれ馬)
イメージ  「わける・わかれる」 (班・斑)
音の変化  ハン:班・斑

わかれる
斑 ハン・まだら  文部
解字 「文(もよう)+班の略体(わかれる)」 の会意形声。文様が分かれて分布しているさま。
意味 まだら(斑)。ふ。ぶち。むら。「斑点ハンテン」「斑竹ハンチク」(とらふだけ)「斑白ハンパク」(しらがまじりの頭髪)
難読 「斑鳩いかるが」(奈良県の地名)「斑入ふいり」(ちがった色がまだらに混じる)「斑濃むらご」(所々が濃く、その周囲をぼかした染め物)

鳩(ハト/フフドリ)
「鳩居鵲巣」「鵲巣鳩占」http://d.hatena.ne.jp/Cixous/20090206
鵲 巣 鳩 居. 巣作りがうまい鵲(カササギ)の成巣に、巣を為すのが不得手な鳩(ハト/フフドリ) の入って棲みつくこと(いわゆる託卵の習性)から、女性が嫁いで夫の家を我が家とする こと。

其 の華之の子 于(ここ)に帰(とつ)がば其の室家に宜しからん.

はかる。
「熒ケイ」 <かがり火がもえる> と 「栄エイ」 http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/b1b147f482c6cf376c6efc06320827d1
営 エイ・いとなむ  ツ部
解字 旧字は營で 「呂(屋根が連なる)+熒の略体(かがり火が燃える)」 の会意形声。周囲にかがり火をめぐらせ内に屋根がつらなる軍の陣屋をいう。また、軍の陣営がするさまざまな行為をいう。のち、軍のみでなく、仕事をする・務める意となった。新字体は、營⇒営に変化。
意味 (1)とりで。陣屋。「陣営ジンエイ」「兵営ヘイエイ」(2)いとなむ(営む)。つくる。こしらえる。「運営ウンエイ」「造営ゾウエイ」(3)いとなみ(営み)。はかる。「営利エイリ」「営業エイギョウ」

魚をとる長い網をすくいあげることをいう。

鶯 オウ・うぐいす  鳥部
鶯遷オウセン」(うぐいすが谷間を出て高い木に移る。昇進・転居した人を祝う言葉)

「雚カン」 <耳状羽毛のある鳥> と 「観カン」 「歓カン」 http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/581f138eec23cbddfbddbcff94701e2c
ミミズクは「耳付く」でウサギの耳のように羽毛が出ていることから名づけられたが、独立した種類でなくフクロウの仲間である。
つぶさに見る
観 カン・みる  見部
解字 旧字は觀で、「見(みる)+雚(つぶさに見る)」 の会意形声。視力のいいフクロウ類の鳥がつぶさに見ること。新字体は観に変化する。甲骨文字で雚は視察の意味だという。
意味 (1)みる(観る)。ながめる。「観客カンキャク」「観光カンコウ」(2)くわしく見る。「観察カンサツ」(3)見えるありさま。「美観ビカン」「景観ケイカン」「奇観キカン」(4)見て考えること。ものの見方・考え方。「観念カンネン」「主観シュカン」
権 ケン・ゴン  木部
解字 旧字は權で 「木(木の棒)+雚(ケン)」  の形声。ケンは懸・縣ケン(かける)に通じ、木の棒ばかりにおもりを懸けること。また、そのおもりをいう。はかりと錘(おもり)を手にすることにより、自分の思いのままに目方をコントロールすることができる権利を得ることができる。新字体は権に変化する。
意味 (1)はかる。目方をはかる。おもり。「権度ケンド」(はかりと、ものさし)「権衡ケンコウ」(はかりのおもりと、さお)(2)物事を強制したり処置する威力。ちから。いきおい。「権力ケンリョク」「特権トッケン」「権益ケンエキ」(権利と利益)「権化ゴンゲ」(仏・菩薩が姿を変えてこの世に現れること)(3)はかりごとをする。はかる。「権謀ケンボウ」「権術ケンジュツ」

菟道稚郎子を立てて日嗣とされた。大山守命を山川林野を掌る役目とされ、大鷦鷯尊をもって、太子の補佐として国事を見させた。
採りおける蘆雚は、この家長の御心の平なるなり。 採りはべる結縄は、この家長の御寿 の堅なり。 採り葺ける草葉は、この家長の御富の ... しっかり置く垂木は、この家の長の 御心を整えるものだ。
巻第八 神皇本紀 http://mononobe.webcrow.jp/kujihongi/yaku/jinnou.html

白鵠の生御調の玩物と、倭文の大御心もすべむに、彼方の古川岸、此方の古川岸に生 立てる、若水沼の間弥若えに御 ... 家長の御心の 齊 ( トトノホフ ) なり、取り置ける 蘆雚 ( エツリ ) は、この家長の御心の 平 ( タヒラナル ) なり、取り結へ ...

えつり【棧・蘆雚*4・?*13・{木偏に夢}*13】. [證・衣] 證補は「棧」として分類。*13は2例中2例とも「衣豆利」。「えづり」か。http://www.akenotsuki.com/eyeben/wago.html

桟とは、以下のことを表す。 障子や板戸などの骨となる木 補強のために打ち付けた 横木 黒板の下部に取り付けるチョークなどをおくフレーム 人名 日本の姓である。http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%A1%9F
意味旧字体は棧。棚、かけはし、崖沿いに渡した道、小さな橋、竹や木で作った車、棺を運ぶ車、木を編んだもの、竹や木で作った遮蔽物、貨物を貯蔵する場所、宿、という意味がある。〔説文解・巻六〕に「棚なり。竹木の車を棧と曰ふ」とある。字形形声で声符は戔。音訓音読みはサン、セン(漢音、呉音)、訓読みは、かけはし。

桟と垂木の違いはなんですか?https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120659628?__ysp=5qOnICDlnoLmnKg%3D
垂木は屋根の骨組みで桟はその上に置いて(設置 して)屋根材の下地となる木材でした。 ”
垂木

建築している建物の屋根の垂木の長さ計算
図面設計面取り角度;http://keisan.casio.jp/has10/SpecExec.cgi?id=system/2006/1161228774

「面取り」と「角取り」https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317756768?__ysp=6KeSICDps6UgIOiqnua6kA%3D%3D
「面取り」は稜(線状)を45度の角度で一定の面を付けることで、角材なら12の稜が対象になる。「角取り」は名のとおり角材なら、8箇所ある角に一定の面を付けることです。

垂木は扇のように放射状に並ぶ。円形の柱の 両端には粽(ちまき)が付けられ、柱頂に台輪(だいわ)、柱下に礎盤(そばん)がある。http://kyotana.be/object/detail/1/
柱頂

山の頂き
鯀も禹ももとは水神で、鯀は亀、禹は龍の化身であり、亀信仰部族から龍信仰部族に勢力が交代したのだ、という説もあります。http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no40/10.html
開封の禹王大公園。黄河を見下ろす山の頂きに、巨大な禹王像が立つ。禹が手に持っているのは、土木工事に用いる鋤(すき)だが、その形を模してつくられたのが貨布銭。

己キ・・・

「台」や「以」の字もすきの形から 来たもの
「己」の部分が「巳」で、「巳」はヘビのことだから、ヘビを見てびっくりして起きて走る意味だったらしいとか、なんとか・・・・
己」と「巳」と微妙 に違い、横のほうが途中で止まっています。 ... ちなみに「台」や「以」の字もすきの形から 来たもの) ... 謹賀新年」 ? 鳥をつかまえる道具「弋」しきがまえ ? いつも師走の気持ちで。
鳥をつかまえる道具「弋」しきhttps://ameblo.jp/hokuriku-kanjijuku/entry-12094097276.html

「巳」はヘビ

ヘビの 体・・・

「弋」(ふたまたになった枝)と「」(道具・ものさし) 先が「さすまた」 .http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/2989/?fontsize=5&reverse=0&TEACUPRBBS=5b53cb06983710d96ce8158af3a2e0f3
交合・・・まっぷたつに割れた巨さしがね石http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4465
青龍が郊外に現れ・・・「青龍の角」  スピカの麦穂

スピカは麦穂星という とおり農事に関係あるらしいなどと考えめぐらすとオトメ座の愛らしい清浄さがよくわかる 。中国では三本の線を麦と見たいで「青龍の角」にしてしまった。http://common3.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/127/127_001.html
禹は十寸を一尺と定めました。商王朝の湯は十二寸を一尺とし、周王朝の武王は八寸を一尺とします。

測量の「行動をはじめる・きざす」 東冶(とうや) 東方へ巡幸(狩) 「台ダイ」 ..... 在位十年 にして、 東方へ巡幸(狩)し、その折、会稽にて崩じた。 ... 帝禹は辛の .... 殷の王者は「 巡狩」と言って、軍事演習を兼ねた諸国検察をよく行った。
東冶(とうや) 東方へ巡幸(狩)http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4400
    測量の「行動をはじめる・きざす」 東冶(とうや) 東方へ巡幸(狩)
「台ダイ」 <スキで大地を起こし始める>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
台 ダイ・タイ・イ    口部
解字 「ムシ(スキ)+口サイ」の会意。ムは大地を耕すスキ、口は神に祈る言葉を入れる器。台はスキを祓い清めて豊作を祈る儀礼。生産を始めるときの儀礼である[字統]。台を音符に含む字は、スキで生産を始める意から、「行動をはじめる・きざす」また、スキで大地を掘り起こして柔らかくする意から「やわらかい」イメージを持つ。※高台の意の「台」と同じ形だが意味が違う。

台[臺] ダイ・タイ  口部
解字 篆文は、「高の変形の上部(高い)+至(いたる)」 の会意。高い建物に至る、即ち、丘の上のうてな・高殿の意。新字体は、この字を発音が同じ「台」に置き換えた。
意味 (1)うてな。高い建物。「灯台トウダイ」「楼台ロウダイ」 (2)高く平らな土地「台地ダイチ」「高台たかだい」 (3)物を乗せたり、人が上ったりするもの。「舞台ブタイ」「寝台シンダイ」 (4)仕事などのもとになるもの。「台帳ダイチョウ」「台本ダイホン」

>足の指を三本に簡略化

>焉 エン ・・・鳥

鳥の爪
、「龍」とは、伏羲と女媧の内、伏羲の作った生き物。伏羲とは、天帝から神様の称号を与えられて、人類を生み出した、人類創造の神、
伏羲は、馬の頭、ヘビの 体、鳥の爪を持つ生き物を生み出しました。それが「龍」だったのです。http://blog.goo.ne.jp/nonkinonki_001/e/6a7580a96f44818a6e978055e91e4cf1

ウマ、(罵と通じて)罵る。〔説文解字・巻十〕には「怒るなり。武なり」とある。これは怒、武の音と馬の音とが畳韻の関係にあることを踏まえた解説。http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%A6%AC

司馬とは、日本・中国・韓国に共通して存在する姓。→日本の苗字(名字)の一覧 また、 漢の時代には軍事を統括する名誉役職名でもあった。http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8F%B8%E9%A6%AC

(罒(网)+馬)。「網」の象形と「馬」の象形(「馬」の意味 だが、ここでは、「幕」 に通じ(「幕」と同じ意味を持つようになって)、 「覆いかぶせる」の意味)から、網や幕を かぶせるように悪口を あびせかける、「ののしる」https://okjiten.jp/kanji2008.html

「莫ボ」 <太陽が草原にしずむ> と 「暮ボ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/493dfe5f64228271e5d2c06a926d1c86
現代字は上の艸が?に、下の艸が大に変化した。

艸「ここ・これ・この」
茲ジ・シ艸部解字甲骨文・金文で分かるように初形は幺幺ジで、幺ヨウ(ねじた糸束)を 並べた形。篆文は上部に糸束の末を結んだ形。「ここ・これ・この」などの指示詞に用い られた。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/2308a3591f0207e94af63c868f0b3426
ふえる
磁 ジ  石部
解字 「石+茲(ふえる)」 の会意形声。土の中の砂鉄をひきつけて、ふやしてゆく鉱物(石)。
意味 (1)じしゃく(磁石)。鉄をひきつける性質。「磁気ジキ」「磁性ジセイ」「磁針ジシン」 (3)やきもの。「磁器ジキ」

つむいだ糸を最初に管に巻くことを、 特に「ボッチ揚げ」と呼んでいます。http://www.tochigi-edu.ed.jp/furusato/detail.jsp?p=65&r=375

足跡
台(うてな) 平 ボッチ
ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人である。類似の名称が数多く存在するが、以下では便宜的にダイダラボッチと呼称する。山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている(鬼や大男などの妖怪伝承が巨人伝承になったという説もある)[2]。
『播磨国風土記』の託賀郡(多可郡)の条には次のとおり同地の天が高いといい足跡が数多の沼になった大人(おおひと)伝説が記されており、上記の『常陸国風土記』の伝説と同種であると考えられている。

遠くが見渡せるように作られた建物を意味していました
台(うてな)の読み方の語源はなんですか。ハスのうてな「蓮華座」のことですが、なぜ「う てな」なんでしょう? 仏像とかって必ず、台に乗ってらっしゃいますよね・・・
うてな 【台】 (名) 四方をながめられるようにつくられた、壁のない高い建物。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318338138?__ysp=44GG44Gm44GqICDoqp7mupA%3D
「いとど玉の―にみがきしつらひ、よろづを整へ給へり」 〈源・若紫〉
――講談社『古語辞典』

「台ダイ」 <スキで大地を起こし始める>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
解字 「ムシ(スキ)+口サイ」の会意。ムは大地を耕すスキ、口は神に祈る言葉を入れる器。台はスキを祓い清めて豊作を祈る儀礼。生産を始めるときの儀礼である[字統]。台を音符に含む字は、スキで生産を始める意から、「行動をはじめる・きざす」また、スキで大地を掘り起こして柔らかくする意から「やわらかい」イメージを持つ。※高台の意の「台」と同じ形だが意味が違う。
イメージ  臺の略字である「うてな・高殿」、生産を始める儀礼から「行動をはじめる・きざす」、スキで大地を掘り起こす事から「やわらかい」イメージがある。
  「うてな・高殿」(台)
  「行動をはじめる・きざす」(胎・始・颱・殆)
  「やわらかい」(怠・怡・駘・冶・苔・飴)
  「同音代替」(治)
始 シ・はじめる・はじまる  女部
解字 「女+台(行動をはじめる・きざす)」 の会意。女の腹の中でみずから動き始めた生命の意。意味は胎と同じだが、胎は胎児の意に、始は始めの意に用いる。
意味 (1)はじめる(始める)。はじまる(始まる)。「開始カイシ」「始動シドウ」「年始ネンシ」 (2)物事のおこり。「始祖シソ」

治 チ・ジ・おさめる・おさまる・なおる・なおす  氵部
解字 「氵(水)+台(ジ・シ)」 の形声。台の古音シは司シ(つかさどる)に通じ、水をおさめる意。台に始シの音がある。さらに転じて、世の中をおさめる、病気をおさめる意ともなる。
意味 (1)おさめる(治める)。おさまる(治まる)。整える。取り締まる。「治水チスイ」「治安チアン」「政治セイジ」 (2)なおす(治す)。なおる(治る)。「治療チリョウ」「治癒チユ」「全治ゼンチ」

アテナの用語解説 - ギリシャ神話の女神。オリンポス十二神の一。 知恵・学芸・工芸の神。ゼウスの額から生まれたとされ、武装した若い処女神の姿で 表現される。しばしばフクロウを伴う。
ローマ神話のミネルバと同一視される。https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A-197305
【アラクネ】より
…その名はクモの意。オウィディウスの《転身物語》によれば,彼女は小アジアのリュディア地方の寒村に住む機織の名手であったが,慢心して技芸の女神アテナに技競べを挑み,一点の非の打ちどころもないみごとな織物を織り上げたものの,それを女神に引き裂かれ,絶望して首をくくった。しかし彼女は女神に命を救われ,腹から糸を吐いて機織に励むクモに変じられたという。…
機織に励むクモ

【フクロウ(梟)】より
…また,フクロウの声がしているときに生まれた子は一生不運につきまとわれるともいう。しかし女神アテナ(ローマのミネルウァ)の聖鳥でもあることから,知恵の象徴ともなり,眼鏡をかけて本を読むフクロウの戯画が学者への風刺としてしばしば描かれる。【荒俣 宏】。…

ジェミーソン星図』のおとめ座の近傍図、左下端にふくろう座. ふくろう座(ふくろうざ、梟 座、Noctua)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%86%E5%BA%A7
おとめ座の左下端にふくろう座

『なれなれしい、兎に角なれなれしい』. カストールと ポルックスの仲の良い双子が由来の星座。タマゴから生まれました
双子座の守護星は水星。神様の使いっパシリと呼ばれる伝令の神ヘルメス。http://ptn48.shaberizon.jp/gemini.html

水星は、英語でマーキュリー。これは、ローマ神話の商業と盗賊の守護神 メルクリウス(Mercury)からきていて、ギリシャ神話では神々の使者である伝令の神・ ヘルメスに相当します。
ギリシア神話の世界http://www.palette.furukawa.miyagi.jp/space/astronomy/constellation/greek_gods.htm

トート(=ヘルメス)
トキとヒヒ
トート(ギリシャ語:Θωθ;トト[2]とも)は古代エジプトの知恵を司る神。古代エジプトでの発音は完全には解明されていないがジェフティ(エジプト語:??wty)と呼ばれる。聖獣はトキとヒヒ。数学や計量をつかさどる女神であるセシャト(英語版)を妻(または妹)としている。
時の管理者として
天空の神ヌトがオシリスたちを生む際に、太陽神であるラーが「その子供たちは災いを生む」と言って子供を産むことを禁じた。困ったヌトはトートに相談した。そこでトートは月と賭けをして勝ち、時の支配権を手に入れた。そして太陽神の管理できない5日間を作りだす(太陰暦と太陽暦の差)。そしてヌトはこの5日にオシリス、セト、大ホルス、イシス、ネフティスの5柱を生んだ。そして月としての属性を得たため太陽の沈んだあとの夜の時間は、トート神が太陽にかわって地上を守護するとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%88
古代エジプト以外でのトート
ギリシア神話のヘルメス神と同一視された。これが後に発展してヘルメス・トリスメギストスを生んだ。また、ヘルメス思想では、エジプトの知恵はタロットに残されたと考えられたため、タロットはしばしば「トートの書」とも呼ばれた。
近・現代においてもトート(=ヘルメス)はオカルトで重要な存在であり、アレイスター・クロウリーは「トートのタロット」を制作した。また、タロットに関する論文である『トートの書(英語版)』を執筆している。ただし、この本自体はトート神とは余り関係がない。

トキ
「牛ギュウ」 <うし> と 「牟ボウ・ム」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/b7ab24d77ca1b11afafb4cdab6afd941
解字 牛を正面から見た形の象形。甲骨文・金文は牛の角を強調している。牛は部首となる。
意味 (1)うし(牛)。「牛車ギッシャ」「牛肉ギュウニク」 (2)星の名。「牽牛星ケンギュウセイ」(ひこぼし)
参考 牛は音符としては吽ウン・コウ・ゴウ、にわずか発音が伝わるだけで、ほとんどが会意でできているため、発音はバラバラである。
部首としての牛 牛は「うし」の意味で部首になる。牛部に属する字は、常用漢字で6字、約14,600字を収録する『新漢語林』では91字が収録されている。主な字は以下のとおり。
牛が偏となる字
特トク(牛+音符「寺ジ」)・犠ギ(牛+音符「義ギ」)・牲セイ(牛+音符「生セイ」)・物ブツ(牛+音符「勿ブツ」・牡ボ(牛+土)・牝ヒン(牛+ヒ)・犇ホン(牛+牛+牛)
牛が下につく字
牽ケン(牛+冖+音符「玄ゲン」)・牢ロウ(牛+宀)・犂リ(牛+禾+刀の変形)・犀サイ(牛+尾)
イメージ  「うし」(牛・件・牢・吽・犇)
音の変化  ギュウ:牛  ウン:吽  ケン:件  ホン:犇  ロウ:牢

牛・羊・豚の三種を供えたものを「太牢(大牢)」、羊・豚を「少牢」という。 ⑧「ごちそう」 ⑨「 かたい」、「壊れにくい」( ... た牛」の象形から、「おり」、「かこい」 を意味する「牢」という 漢字が成り立ちました
「囲いに入れられた牛」の象形https://okjiten.jp/kanji1625.html

 「玄ゲン」 <黒い糸たば>
解字 金文は幺ヨウと同じで糸たばのかたち。金文からすでに「黒い」意味があるので、ゲンの発音で黒い糸たばを表したものと思われる。春秋戦国時代の古文は、糸たばに点があるので黒く染めていることを示しているのかも知れない。篆文は糸たばの上に横線が入り、この形が現代字の玄になった。この横線は糸たばに通した棒と思われ、黒い液に漬けたあと、ねじって絞る形と考えられる。意味は、黒く染めた糸たばから、くろい色、転じて、奥深い意を表す。音符になるとき、黒い意は消え、糸たばの形から「太いより糸」のイメージがある。
意味 (1)くろ。くろい色。「玄米ゲンマイ」「玄鳥ゲンチョウ」(ツバメの別称)(2)ふかい。奥深い道理。「玄妙ゲンミョウ」「幽玄ユウゲン」(3)はるか。とおい。「玄孫やしゃご・ゲンソン」(孫の孫。ひまごの子)(4)すぐれた。「玄人クロウト」(専門家。対語は素人)

イメージ  黒い糸たばから「くろい」 (玄)
       糸たばの形から「太いより糸」 (弦・舷・絃・牽)
       「同音代替」 (眩・衒・呟)
音の変化  ゲン:玄・弦・舷・絃・眩・衒・呟  ケン:牽

牽 ケン・ひく  牛部   http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/3f12ef223df2dbac4d92fef3fbd4bcd7
解字 篆文は、「玄(つな)+冖(鼻輪の半分が見える形)+牛」 の形。玄ゲンは、ここでは牛をひく綱。次の冖は牛の鼻輪で鼻の外に出ている半分を表す。一番下が牛。牽は、牛の鼻輪につけた綱を引っぱるかたちで、意味は牛を「牽く」。
意味 (1)ひく(牽く)。ひっぱる。ひきつける。「牽引ケンイン」「牽牛ケンギュウ」(牛飼い)「牽牛花ケンギュウカ」(あさがお)「牽強付会ケンキョウフカイ」(牽強はむりにひく、付会はくっつける、あわせて無理にこじつける意)「牽制ケンセイ」(相手の注意をひきつけ、自由に行動できないようにする) (2)つらなる。つづく。「牽連ケンレン」(ひかれつながる。ひきつづく)

牽牛星の用語解説 - わし座α星アルタイルの 中国名。和名「ひこぼし」。七夕に,天の川の向う側の織女星 (こと座α星ベガ ) と相会 するという伝説で有名。http://www.webyou2.jp/3mei/syusei.html

アルタイルとベガ(彦星と織姫)、アルクトゥルスとスピカ(夫婦星)などのように、2 つが対になっている(?)恒星https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1039248240?__ysp=44Ki44Or44K%2F44Kk44OrICDjgrnjg5Tjgqs%3D
ふたご座、カストルとポルックス(双子)
オリオン座、ベテルギウスとリゲル(平家星と源氏星)

玄玄の用語解説 - [名・形動タリ]奥深いこと。はなはだ深遠なこと。 また、そのさま。「妙の一字は不可得不可思儀の間に出でて、―のうちにあるなり」〈https://kotobank.jp/word/%E7%8E%84%E7%8E%84-491773

,「ここ」です。「ここに戦を宣す」などの「ここ」です。
玄玄https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1474589209?__ysp=546EIOeOhA%3D%3D

玄ゲンは、ここでは 牛をひく綱。次の冖は牛の鼻輪で .... 物部神社ここ物部神社の主 祭神は、宇摩志麻治命(うましまぢのみこと)で .... をその角度でずっと延ばした先にある うしかい 座のアークツルス、またさらに伸ばした先にあるおとめ座のスピカを結ぶ線を いいます。のこと。 .... あげまき=総角、揚巻もあげまきと読む。髪を揚げ ...
[2962] 饒速日命・・・饒(おお) 王? 考 http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/2962
> 北辰信仰は、紀元前二千数百年前の堯・舜の時代に記録されている という。・・・
 

(無題)

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月10日(日)13時49分13秒
返信・引用
  ケルト人は 髪の毛を非常に大切にし、続いたり編んだり、古代の何人かの文筆家によると、染めたり もした。
Hair(髪) http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/hair.html
天空に現れる徴候や不思議は、一般には、来たるべき破局を示す重要な前兆と解釈された。「髪の精霊」とみなされた彗星の場合は、とくにそうだった。彗星は太母の巻き毛であって、世界の終末の日に、この世が太母のもたらす黄昏の影の中に徐々に覆われていくとき、天空に現れると考えられた。死の女神の姿は、ほとんどの場合、その房々とした髪の毛が逆立った様相を呈しており。しかもその髪の毛は、メドゥサ-メーティス-ネイト-アナテ-アテーナーといったゴルゴネイオンの場合のように、ヘビの姿をしていることがあった。「天におけるが如く、地においであるぺし」(天地対応)という魔術の原理にのっとって、女性の髪には女神の髪と同様の神秘的な力が分与されていたのである。タントラの賢者たちは、女性が髪を束ねたり解いたりすると、字宙の創造力や破壊力が活発になると言った[6]。

古代の人々は、女の呪文が効果を発揮するためには髪の毛がなければならないと主張した。したがって、髪を失った女性は無害の存在だった[11]。そこで、キリスト教の尼僧やユダヤ人の妻たちは頭を剃ることを強いられたのである。ヨーロッパ中世におけるキリスト教会の異端審問官は、魔女のかどで訴えられた女は髪を剃ってから拷問にかけるべきだと主張した[12]。教会側の人々は、サタンは自分の信者たちに、「髪の毛がありさえすれば」災いを蒙ることがないと告げていると主張した[13]。異端審問官の中には、身体の毛も剃った方がよいとする者もいた。このようにして、 to make a clean breast(洗いざらい白状する)という表現が、男の魔術師の胸毛を剃り落とす習慣から生まれた。

太陽神の場合。髪は「光線」と男性的生殖能力の両方を表していた。アポッローンの男根的機能は、「黄金色の頭髪を持った雄」の意の添え名クリュスコメスによって暗示された。サムソンの場合と同様に、太陽神たちが髪の毛を切るということは、供犠としての去勢を意味した。昔から英雄の去勢または断髪が行われた場所の1つにカルヴァリがあったが、カルヴァリは、「禿頭のされこうべ」の意の丘で、供犠を執行するための場所だった。ローマ人たちは太女神をカルヴァ(「禿頭」)と呼ぶことがあったが、この名は太古からのものなので、太女神がなぜそう呼ばれたかを知る者は誰もいなかった。おそらく、エホヴァを祀った聖なる山モリヤの場合と同じように、カルヴァという名は、「頂に祭壇が置かれている供犠の丘」から派生したものと思われる[24]。

丫とは、二又の枝やあげまきを表す漢字である。アルファベットのYとは無関係。 なお、 あげまき(総角)は童子の髪型の一種で、髪を左右で分けて耳の上あたりに髷を結った もののこと。

丫とは、二又の枝やあげまきを表す漢字である。http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%AB
なお、あげまき(総角)は童子の髪型の一種で、髪を左右で分けて耳の上あたりに髷を結ったもののこと。
意味あげまき、あげまきにした人、つのがみ、二又の木の枝。〔集韻〕などに「物の岐頭なり」とある。字形二又の枝の象形説、あげまきの象形説がある。〔六書統〕に「丫岐、物の耑なり。其の耑の叉分する形に象る」とある。

α星スピカから北西にのびる大きなY字形の星列である 。
スピカ【Spica】
おとめ座のα星。この名はラテン語で麦などの穂を意味する。おとめ座は,正義の女神アストライア,穀物神デメテルの娘ペルセフォネ,あるいはデメテル自身の姿に見立てられ,スピカは女神の手にした麦の穂の位置に輝いている。おそらく西欧古代において,この星の出没が麦その他の穀物の収穫期を認知するのに使われたと思われる。日本では同じ春の1等星の一つアークトゥルスに〈麦星〉の名があるが,この星の和名は広まっていない。

ユダヤ教における唯一神の名を現すヘブライ語「????」の4文字を、「?(ユッド)」をY、「?(ヘイ)」をH、「?(ワーウ)」をVとしてラテンアルファベットに転訳したものである(ヘブライ語は右から左に書く)。ただし「?(ワーウ)」は古くは V で転写されることが多かったが、近年では古代ヘブライ語ではVよりWに近い発音をされていたと推測されており、国際的にはWと転訳してYHWHと記載される場合の方が多いが、日本ではこの記事のタイトルのように古風なYHVHの方が根強い。

(ヨッド)はヘブライ語の活字体の10番目の文字。数価は10である。

10  獣  点 天
ヨッドヘーヴァウヘー ..... 偽予言者ハ予言出来ない予言者ナノデ伝える人 獣は裸 鳥は天 肉は身 拾うモヨウ 炉は命ノ  ...

ヨハネの黙示録によると、この世の終末の間際に海から「角が10本、頭が7本」の獣(獣 ①)が上ってきて、この世界を支配します。そこに別の獣(獣②)が現れ ... それには角が 十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた 。 (省略) ... 13:13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせる ことさえした
「666」の意味。獣の数字、黙示録に書かれた預言とは?http://sfushigi.com/2017/02/22/post-165/

ケントでは25万年前と推定される人類の頭蓋の断片が発見された。
ヘブル語でゴルゴタhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E5%8D%81%E5%AD%97
白鳥座の中でひときわ輝くオレンジとブルーの二重星が「アルビレオ」。

ケルト十字(ケルトじゅうじ)はラテン十字と十字の交差部分を囲む環からなるシンボルで ある。 ケルト十字の起源はキリスト教以前にまでさかのぼるが、後に ... アイルランドと大 ブリテンのケルト地域では、支柱を持たない多くの十字架が立てられ、最初期のものは 遅くとも7世紀にさかのぼる。
ケルト十字
十字と円環を組み合わせた表現は広く見られ、キリスト教以前にも存在した。太陽十字と呼ばれるこれらは、青銅器時代のヨーロッパにみることができる。

青銅器時代は多くの文明において国家形成の開始された時期に当たり、世界最古の文字が発明されたのもこの時期にあたる。このため、各文明においては先史時代と歴史時代の両方の面を持つ。メソポタミア文明においては都市の形成は新石器時代後期にさかのぼるとみられているものの、歴史をしるすことのできる文字の発明は青銅器時代に入ってからのことである。エジプト、中国の各文明においては青銅器文明に入った後に国家の形成が行われ、歴史時代へと入っていった。またこれとは逆に、西ヨーロッパや北ヨーロッパのように青銅器時代を通じて国家の形成が見られず、先史時代にとどまった地域も存在する。
青銅器時代https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3
世界の各地域における青銅器時代[編集]
メソポタミア・エジプトでは紀元前3500年ごろから青銅器時代がはじまった。メソポタミアにおいては青銅器時代に入る前から都市が形成されていたが、青銅器時代に入るとさらに発展は加速し、ウル・ウルク・ラガシュなどといったシュメールの都市国家が栄え、紀元前2350年頃にはアッカド王サルゴンがメソポタミアを最初に統一し、やがてウル第三王朝やバビロニア、カッシートなどの広域王朝が交代を繰り返すようになった。このほか、メソポタミア北部においてはアッシリアやミタンニなども建国された。エジプトにおいても青銅器文明に入ると統一王朝が形成され、エジプト初期王朝時代を経てエジプト古王国が成立した。その後、エジプト第1中間期、エジプト中王国、エジプト第2中間期を経て、エジプト新王国期までがエジプトの青銅器時代である。エーゲ海地方においては、紀元前3000年頃から2000年頃にわたって続いたキクラデス文明や、クレタ島に栄えたミノア文明(ミノス文明、クレタ文明)、ギリシア本土に栄えたミケーネ文明、小アジア西端のトロイア文明といった、エーゲ文明の名で総称される各文明が起こっていた。オリエントにおいては、アナトリア高原にヒッタイトの現れる紀元前1500年前後までが青銅器時代と考えられる。ただしこの時期のオリエントにおいて鉄器の製造技術を保持していたのはヒッタイトのみであり、ほかの諸国においては青銅器時代が継続していた。オリエント全域に鉄器が広がり青銅器時代が終焉するのは、紀元前1200年ごろに海の民の襲撃によりヒッタイトが滅亡し、その技術がオリエント全域に流出した、いわゆる前1200年のカタストロフののちのことである。
インドにおいては紀元前2600年から紀元前1800年ごろにかけて、インダス川流域にモヘンジョ・ダロやハラッパーなどの諸都市によるインダス文明が栄えた。
ヨーロッパでは紀元前2300年~紀元前1900年ごろのビーカー文化後期、紀元前1800年~紀元前1600年ごろから始まったウーニェチツェ文化、紀元前1600年~紀元前1200年ごろの墳墓文化(西部)およびトシュチニェツ文化(東部)、紀元前1300年ごろからの骨壺墓地文化(西部)およびルサチア文化(東部)などを経て、紀元前800年頃から青銅器時代から鉄器時代への移行期に入った。また、北ヨーロッパにおいては青銅器文化の時期はやや遅れ、紀元前1700年~紀元前500年ごろに北欧青銅器時代を迎えた。
中国では、紀元前3100年頃から紀元前2700年頃にかけて甘粛省や青海省といった黄河最上流部に栄えた馬家窯文化において青銅の物品が発見されており、この時期に青銅器時代に移行したと考えられている。その後、黄河中下流域に栄えた龍山文化や二里頭文化を経て、紀元前1600年頃には二里岡文化に代表される中国最古の王朝である殷(商)が成立した。殷代の青銅器は、饕餮(トウテツ)文と呼ばれる複雑な文様が青銅器の表面に鋳造されていることで知られる。その後周代を経てから春秋時代(紀元前770年~紀元前400年ごろ)までが青銅器時代に相当し、鼎に代表されるさまざまな特異な青銅器が生まれた。こうした青銅器の表面にはしばしば文字が鋳造されるか刻まれ、金文と呼ばれて貴重な資料となっている。

ケルト人はおそらく青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年 - 紀元前500年)を発展させた。当時欧州の文明の中心地であったギリシャやエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット文化はラ・テーヌ文化(紀元前500年 - 紀元前200年)に発展する。
ケルトと宗教https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。 初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。 ドルイドの予言の儀式では人身供犠が行われていることを、多くの古典古代の著述家たちが記述している[1]。ドルイドの教義では現世と来世は連続的であるとされ、ケルト人は輪廻転生と霊魂の不滅を信じていた[2]。ポンポニウス・メラやユリウス・カエサルは、ケルト人の戦いにおける勇敢さや人命への軽視とケルト人の死生観を結びつけて考えた。
また、ケルト人には人頭崇拝の風習があった。ケルト人は人の頭部は魂の住処となる神性を帯びた部位であり、独自に存在し得るものと考えた[3]。敵の首級を所有することでその人物の人格や魂を支配できると信じ、戦争で得られた首級は門などの晴れがましい場所に飾られたり、神殿への供物や家宝として扱われた。ケルト芸術には人頭のモチーフが多くみられ、アイルランドではキリスト教改宗後も教会や聖所の装飾に多くの人頭があしらわれている。
ブリテン島のケルト人の間では、4世紀にはキリスト教が根づいた(ケルト系キリスト教)。5世紀になると、アングロ・サクソンなどのゲルマン人が侵入したせいで、ケルト人キリスト教徒はウェールズやコーンウォルに移った。その後、ヴァイキングの侵入やノルマン・コンクエストの影響で、ケルト人キリスト教はしだいに衰退していった。
アイルランドでは、6世紀末~8世紀初めに、ゲルマン人をキリスト教化する方針が取られた。アイルランドでのケルト・キリスト教は、9~10世紀のヴァイキングの侵入によって衰退した。
ケルト・キリスト教独特の制度は、12世紀までにヨーロッパからほとんど姿を消した。しかし近年、現代風に調和されたケルト系キリスト教は息を吹き返しつつある。

はくちょう座は近世になって『カルヴァリの十字架』(カルヴァリはキリストが十字架につけられたエルサレム郊外の丘の名で、ヘブル語でゴルゴタといい、そのラテン語系英名がカルヴァリで、頭骨の意味)とか、『キリストの十字架』とか呼ばれたこともあり、また、一般に南十字星(Southern Cross)に対し、『北十字』(Northern Cross)の名で親しまれています。事実この星座が夜更けに西の地平線に沈むころには、地平線に直立する巨大な十字架となり、見る人に特異な強い印象を与えてくれます(クリスマスなんかに北十字を見るとほんと神秘的ですばらしいです。キリシタンの方はそう思うのではないでしょうかね)。
 また、この星の一等星デネブは日本名で『あとたなばた』や『ふるたなばた』と呼ばれる地方(京都・兵庫の日本海側の地方)があります。これは七夕としてよく知られること座の『ベガ』とわし座の『アルタイル』と一緒に輝いていて、デネブはこの二つの星より遅れて出てくるのでこのように呼ばれ親しまれているのでしょう。
白色の1等星デネブ。星名の意味は『尾』http://www.geocities.jp/milkyway775325/cygnus.html
β星アルビデオ。星名の意味は不明だが、色の美しい二重星として有名

ギリシャ神話では、大神ゼウスが化身した白鳥といわれています。ギリシャのスパルタ王テュンダレオスの王妃レダは世紀の美女で、大神ゼウスはレダをみそめ、愛の女神アフロディーテに助力を求めました。ゼウスは白鳥の姿で愛の女神アフロディーテが化けた鷹に追われて、レダの膝元に逃げ込んだので、レダは可哀想に思い、その白鳥を抱き寄せて愛撫しているうちに、ゼウスは思いをとげました。白鳥が去った後、レダは二つの大きな卵を産み落としたが、それぞれから、双生児が生まれた。片方の卵からはカストルとポルックスという双子の双生児が(ふたご座参照)、もうひとつの卵からはヘレネ(トロイア戦争の誘因となった美女)とクリュタイメストラ(この名前をクリュタエメストラというラテン語名で、火星表面の1950年の新発見の斑点につけ、それが国際的に認められたのは、火星面学者・海老沢嗣朗医博である)という女の双生児である。卵からの孵り方にはいくつかの説があります。ポルックスとクリュタイメストラはゼウスの子にあたるのでこの二人が一緒の卵から生まれ、カストルとヘレネは人間の子であるため、この二人が一緒の卵から孵ったという説です。
 他のギリシャ神話では、太陽神アポロンのファエトン(一説ではヘリオスの子ともされています)が父親の日の車を走らせて、天から落ちて死んだ時、ファエトンの友達(一説では兄弟)であったキュクノスが悲しみに打ちひしがれていたのを見て、アポロンが哀れんで白鳥とし、星座に加えたとも(エリダヌス座参照)、また、音楽の天才オルフェウス(こと座参照)が死んでから、白鳥の姿となり、彼の竪琴の近くの星空におかれたともいわれています。
 日本で『十字星』と呼ぶ地域(京都府と兵庫県の日本海岸地方)があります。

ブリテン島・アイルランドにおける 人類の渡来から紀元43年のローマ軍侵攻までの人類社会の推移を .... 新石器時代の 中期(紀元前3300-紀元前2900頃)になると、祭祀用の碑がつくられた。ドルメン(支 .... したがって、ビーカー人がインド・ヨーロッパ語族のケルト人であったことは、ほぼ間違い ない。
ブリテンの先史時代https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3
島が大陸と陸続きになっている間に人類が渡来し、ブリテン島の豊富な鉱物資源を大いに利用してギリシア地域と交易を行うなど繁栄していた。

ケントでは25万年前と推定される人類の頭蓋の断片が発見された。しかし人類が住んでいたという痕跡は少なく、イプスウィッチ間氷期(13万-7万年前)を通じて時おり人類がやってくるという程度であった。

西ヨーロッパでは、ギリシア北部で傭兵として働いていたケルト人を経由してもたらされ たため、マケドニア起源だと思われていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%AB

アルビノアルビノ(albino)は、動物学においては、メラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損 により 先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患がある個体である。 albino は元は スペイン語ないしポルトガル語で、albo(白)の語幹
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%8E

そしてその都(アルピ)に、故国(ここく:アエトリアのこと)の一族(いちぞく:ゲンスという)の名にちなむ、アルギュリパという添え名(そえな)をつけておられた。

ゲンス(ラテン語: Gens, 複数形はGentes)は、古代ローマの最古期に形成された氏族 または氏族集団のこと。氏族名を共有し、祭礼など共通概念で結ばれた複数の家族 から成る集団。
ゲンスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B9
ガイウス・ユリウス・カエサルのゲンス(氏族名)はユリウスである。

新石器時代に人類が定住
アルピ(Argos Hippium あるいは Argyrippa とも)というギリシャ人の植民市があったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%A3
「イタリアの穀倉」
Foggia は、ラテン語のfovea(穴倉)から来ており、小麦を貯蔵するための穴倉に由来する地名である。
北緯41度28分0秒 東経15度34分0秒
この地域には新石器時代に人類が定住しており、付近にはアルピ(Argos Hippium あるいは Argyrippa とも)というギリシャ人の植民市があった。現在のフォッジャの街につながる都市が存在したことを証明する最初の記録は、西暦1000年ごろのものである。伝説によれば、最初の移住者である農民は、聖母の像が描かれた板絵を見つけたが、その板絵には3つの炎が燃えていたという。

ケルト人が全スイスに居住していたローマ時代以前
白い山https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9-28605
アルプス」は英語読みで、ドイツ語ではアルペンAlpen、フランスではアルプAlpes、 イタリアではアルピAlpiとよばれる。ケルト語で山を意味するalbまたはalp、ラテン語で白 を意味するalbが語源といわれ、氷雪に覆われた白い山という意味
アルプスの歴史は、ヨーロッパ南北を結ぶ峠の歴史でもある。ケルト人が全スイスに居住していたローマ時代以前に、すでにアルプス各地に10以上の峠道が存在していた。しかし、峠が歴史的に脚光を浴びるようになるのは、ローマ人によるガリア征服からである。カエサル麾下(きか)の猛将ガルバは、グラン・サン・ベルナール峠を越え、ワリス地方を征服したが、征服後に峠には神殿が建てられ、守備隊が配置された。アルプス以北にローマ植民市が次々と建設されると、ローマ軍道の西アルプスの主ルートはグラン・サン・ベルナール峠を、東アルプスの主ルートはサン・ベルナルディーノ峠を含んだビュンドナー峠を通った。これ以後、アルプス地域はヨーロッパの十字路となった。
 ゲルマン諸部族の進出、フランク王国成立後も、アルプスの峠は重要な地点であった。峠の維持は、神聖ローマ皇帝のイタリア政策の基本柱であり、また、キリスト教の進展に伴い、峠は巡礼の道にもなった。10世紀には、イスラムの勢力がアルプスにまで及び、峠越えは危険を伴った。972年、大諸侯をしのぐ地位にあったクリュニー修道院長さえ、グラン・サン・ベルナール峠越えの道でイスラム人に襲われ、莫大(ばくだい)な身代金をとられる始末であった。
 イスラムの後退後、峠はふたたび安全を取り戻し、峠には修道院が建てられ、宿坊も完備された。イスラムの後退は「商業の復活」を引き起こし、西ヨーロッパ各地に都市が勃興(ぼっこう)すると、アルプスの峠は重要な商業路となった。
 

天に昇っていった・・・

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月10日(日)00時50分45秒
返信・引用
  ...雷の語源. 「神鳴り」、つまり天の神が鳴らす 音が語源です。神の怒りの声だという説もあります。 旧約聖書が書がかれかれている ...http://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/070710.html
神鳴り」、つまり天の神が鳴らす音が語源です。神の怒りの声だという説もあります。
旧約聖書が書がかれかれているヘブライ語にも雷という言葉自体が、もともと「神の声」という意味から派生してきたものらしく、旧約聖書でも神と雷の関係がよく出てきます。
その一例は「モーゼが語りかけると、主は雷鳴をもって答えられた」(出エジプト記19.19)
モーゼが人々を連れてエジプトを脱出する時、山で神に語りかけるシーンがありましたが、その時雷が鳴って、それが神の声だったのです。

いなずま(稲妻、電)http://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/070710.html
光の方は「いなず(づ)ま」と言いますね。文字通り稲のつま(夫)のことです。稲は雷の電光によって、天上の穀神の霊と結合し、その穂を実らせるという言いつたえから来ています。

空へと舞い上
フェアトンが落ちた川http://www.ksky.ne.jp/~tatsuo/sinwa/eridanusu.htm
太陽の神ヘリオスの仕事と言えば、地上を光と希望で満たす事です。
毎朝4頭だての馬車に乗って、天空を東か ら西へ駆け抜けます。
ある日息子のフェアトンは、父親 に無理をいってこの馬車をかりて、空へと舞い上がってみました。
ところが上手く戦車を操る事ができずに、で たらめに走って、森を焼いて砂漠にし、人々の肌は真っ 黒になってしまいました。
 この様子を見ていたゼウスはすごく怒り、雷で撃ち落 としてしまいました。
フェアトンは馬車もろともエリダヌス川に落ちて死んでしまいました。
これを知ったフェアトンの姉達は悲しんで、川岸でポプラの木になったと いうことです。

エリダヌス座のモデルになっているのは、ギリシア神話で伝えられる、太陽神・アポロンの息子・パエトンが落ちた川だと言われています。
エリダヌス座の神話・伝説http://seiza.imagestyle.biz/sinwa/eridanusu.shtml
エリダヌス座は、オリオン座にある一等星・リゲルのすぐ近くからはじまっている冬の星座で、全天では六番目に大きい星座です。
エリダヌス川が星座になっているのですが、エリダヌス川は北イタリアのポー川とも、ナイル川だとも言われています。

昇天とは、キリストが皆の見ている前で天に昇っていったということです。
「キリストの昇天の意味」https://www.chubu-gu.ac.jp/about/christianity/chapelhour/talk/2009/090521-01/index.html
キリストの昇天ということには、何か神学的な意味があるのではないかと考えてみたときに、この昇天の信仰には、尊重すべき深い意味があるのだと考えるようになりました。つまりそれは、復活したキリストは、われわれから時間的・空間的には離れてしまったとしても、永遠の相のもとでは、いつもわれわれを上から愛をこめて見守っているということなのです。そのような弟子たちの確信が、この昇天の信仰になったということです。

天に昇
ここでいう「光」とは太陽を指し、それに先駆けて昇ることからこのように呼ばれる。

十六花弁の菊の「十六」とは何を意味するのだろうか?
飛鳥氏はそのへんのことをぼかして言わないが、あるいはわからないから言えないのかもしれない。
そこで私の考えでは、この「十六」という数の意味は旧約聖書の一部にあると言えるのである。
それは旧約聖書の出エジプト記、20章22節~23章19節 にある「神との十六の契約」についての数である。

十六花弁の菊の「十六」とは何を意味するのだろうか?
飛鳥氏はそのへんのことをぼかして言わないが、あるいはわからないから言えないのかもしれない。
そこで私の考えでは、この「十六」という数の意味は旧約聖書の一部にあると言えるのである。
それは旧約聖書の出エジプト記、20章22節~23章19節 にある「神との十六の契約」についての数である。

神との十六の契約http://www.millnm.net/millnm/covenant.html
第一戒 ヤーウェ以外のいかなるものも神としてはならない。
      第二戒 偶像を拝んではならない。
      第三戒 主の御名をみだりに唱えてはならない。
      第四戒 安息日を覚えて、これを聖別せよ。六日間働いてすべての仕事をせよ。
      第五戒 父母を敬え。
      第六戒 殺すな。
      第七戒 姦淫するな。
      第八戒 盗むな。
      第九戒 隣人に対して、偽証するな。
      第十戒 隣人のものを欲しがるな。

神との契約 https://ameblo.jp/twintherapy/entry-11912837037.html
『神との契約』(差別と選別)
ユダヤ・キリスト教の中心となる教理は、『神との契約』である。
欧米社会が『契約社会である』とよく言われるが、其の根本にある原理は『神との契約』であるので、『人と人との契約』でもこの考え方は援用されて『神の代理人である人』が契約するとの建前になっている。
神を信じれば人と神の契約が成立し、神はひと(信者)を保護し何らかの『利益を与える』と約束する。
欧米一神教の先祖宗教のユダヤ教は、『神との契約』をユダヤ人が守ればユダヤ人を保護し世界をユダヤ人のものにする事を、神が保証する約束である。
キリスト教は、『神との契約』を守った人は死んで肉体は滅んでも別の世界での『永遠の命(魂のことか?)』を、保証すると約束している。

『無契約者や契約違反に対する過酷な罰則』
神を信じなければ契約は成立しないが、契約していない異教徒は無視するか『過酷な運命(最期の審判)』に遭う。
日本人は、『同じ人間だから理解し合える』と思っているが、一神教(ユダヤ・キリスト)教徒からすれば、自分達と異教徒たる日本人は同じではない。
日本人は、キリスト教は『道徳を説いている』と思っている人が多いが、全く違うのです。
神と契約を結び『その内容(契約条件)を守れ』と言っているのです。
契約を結ぶには、先ずは契約相手を信じなければいけないが、神と人は対等ではないので、神の提示した内容に人が条件をつけることは出来ない。

『大手損害保険会社との不思議な共通点』
ユダヤ教改革派(キリスト教)もユダヤ教も圧倒的に権力を持っている『神』と殆んど『力』を持っていない『個人』とが一対一で契約を結ぶ方式になっているが、ここが問題です。
力関係が違いすぎて、『人』は神との契約条件に対して何らの異議も言えない仕組みに成っている。
しかも、『神と契約した者』だけが救われ、『契約しなかった者』はたとえ善人でも救われない。
この辺の関係は、大手損害保険会社と我々一般契約者の関係と『全く同じ』と言ってよいほど非常に似ている。
力関係が対等でないものの契約は、長年掛け金を払い込んでいても何時でも一方的に些細な契約違反を理由として解約される危険がある。
保険会社が一方的に契約約款に違反したとか何とか難癖を付けて契約金の支払いを拒んでも、一般契約者は泣き寝入りするしかなく、力の無い個人はどうする事も出来ない。
悪徳損害保険会社と旧約聖書の神は良く似ています。
我々日本人的には卑しくも神を名乗るなら、契約の有無に係われず全ての人々を助けるのが『神』の本来の仕事だと思うのですが、何ともけち臭く契約者(それも少しの契約違反も無かった人)だけを助けるでは、損保会社と同程度の悪行(自分だけが得をする余りにも狭い近視眼的な商行為)であると、言わざるを得ない。
因みに日本の古くからの商道徳は此れとは大きく違い、交わした契約の条文よりも双方の人間関係や信用に重きを置き、短期の利益に惑わされることなく相手との長期的な信頼関係の構築こそが大事で有ると考えられてきた。

『過酷な契約違反の罰則』
ユダヤ人は弱小民族ですが、彼らの神であるヤハウェ(エホバ)の命令を守っていれば、強大になり世界の中心になれると『約束』した。
ところが、ユダヤ人は『神と契約』して保護してもらう契約(約束)なのに『契約事項に違反した』としてバビロンの虜囚やエジプトでの奴隷体験、そして神殿破壊からローマ帝国によるユダヤ国家崩壊に至っています。
旧約聖書でもソドムとゴモラの都市の殲滅やノアの箱舟の洪水による全ての生命の絶滅など、神は人に対して何度も度外れた懲罰行為を行っているが理由は何れも(神と交わした)『契約違反』を咎められたのである。

『欧米民主主義に対する大きな誤解』
ルソーの『イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう』などの皮肉な言葉もあるが、
『人』を最高の存在と考えている日本人的な解釈では、近代欧米型民主主義とは『主権在民』であるから(何とも素直に)一般の人々一人一人が『主権者』で有ると考えられている。
 

レンタル掲示板
/348