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メイチさんへ 投稿者:noum 投稿日:2006年 3月19日(日)12時28分55秒
ありがとうございます。メイチさんと同じように「先生、僕たちはうれしいですけど、こんなにオープンにして大丈夫ですか?」という声はときどき聞こえてきます。
私たちのようなメーカーも皆さんのサロンも同じ、絶えず新しいものを吸収し、自分のエネルギーに換えていく生命力が大切です。しかし、その力をずっと維持することはとても難しいですよね。これを後の世界からみると進化といいます。
いままでも地球上には多くの生物が生まれ、この世を謳歌し、そして絶えていきました。生まれたときは、その時代にあった最新のエネルギーと適応性をもって進化した生き物だったのが、この世を謳歌しているうちに進化をやめ、過去の能力がまだ一番ふさわしいと誤認し、新しい環境に適応しにくくなり、やがて、新たに進化した強い生物に住むところを奪われ、子孫を絶やしていきます。
これは何億年も生物が何度も繰り返してきた間違いでもあり、自然の節理かもしれません。ぞうのように鼻を長くすれば高いところにある実を食べることができる。きりんのように首を長くすれば高いところの葉を食べられる。そうやって生物は進化してきました。
だけど同様な進化ももった競争者がいないと、良い環境で一人勝ちをして、やがて進化をやめて滅亡の路を歩き始めます。自分から環境をかえて、例えば首の長いゾウになりたいとか、鼻の長いキリンになりたいとか思わなくてはいけません。私はそのキリンゾウになりたい。ただ進化は早すぎても行き過ぎても滅びます。それを知って行動できるのは人間には知恵があるからです。
このBBSをはじめとして私が自分の考えをオープンにするのは、現在私が知っていることはただ私が集めてきたことをまとめただけの情報で、それはすぐに古典となるものだと認識しているからです。それは一瞬において宝と思い込ませる幻覚を与え、それを大事に囲って満足している状態が危険です。やがて新しいエネルギーをもった誰かがすぐに追い越していくでしょう。それもその幻想の中にいると追い越されたとには気づきません。それが進化を止めてしまうということですね。
もし、あなたが私の集めた知識をベースにして、将来もっと素晴らしいものを作り上げてくれたり、新しい会社が生まれ、快く私たちをライバルと言ってくれるのであれば、私は本当にうれしさのあまり手を握りしめたい。この世に誕生して生きた価値を感じ、さらに私ももっと進化しようと頑張れます。オープンにするというのはさらに前に進みたいという気持ちがまだまだあるよというメッセージです。
生まれる生命があれば滅びる生命もある。これは逆らえない自然の節理です。私の年になると周りの人の「死」は自分の「生」を意識させます。私も生物であり、永遠はありえない。いつかは命が尽きる日がきます。肉体や経験は灰になりますが、知識は意識すれば残すことはできます。世の中に役立てることができます。
正確な文語ではないのですけど、キリスト教の聖書のなかに、「人が死んだ後に残す証は、集めたものではなく与えたものである」という言葉がありました。生きているうちに一生懸命集めた金銀財宝や人や物は死んだら何も残らない。むしろ、自分が喜んで渡し、与えた心や物や、それにより生まれた人の意識のなかに、人の生きた証は受け継がれて残るんだよという戒めです。なかなか簡単ではないけど、自分も一歩でも近づきたいなと思います。
大変難しいご意見でしたので、今までで一番書くのに時間がかかってしまいました。心がまだまだ定まっていない証拠かな。
訂正します 投稿者:noum 投稿日:2006年 3月19日(日)13時01分10秒
メイチさんへの返事で、うる覚えの言葉を引用しましたが、気になってネットで調べましたら聖書じゃなかったようです。バルバロ神父が三分の黙想という本の中で紹介しているようです。訂正しますね。
「一生を終えて後に残るものは、
われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである。」
ジェラール・シャンドリの言葉です。
私たちが生涯の幕を閉じる時、
永くもありまた短い物語が終焉を迎えます。
これまで抱いた嬉しさや楽しみは
もう甦ることはありません。
これまで自分が与えられ、培った全てのものが
静かに眠りにつきます。
決して目を覚ますことはありません。
しかし、私たちが与えた感動や感激は
人々の心に生き続けます。
そしてまた語り継がれます。
相手の心に深く残れば残るほど、
その与えたものは輝きを伴って受け継がれていきます。
与えられる喜びではなく、与える喜び。
その喜びの中に、人生の本質が存在しているのです。
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